エッセイ

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私が選んだ100本 012.『毒薬と老嬢』作:ケッセルリング

 1948年にヒットしたアメリカ映画で、二人の老女が主人公の珍しいコメディだ。日本での初演は1951年7月、東京・日本橋の三越本店内の三越劇場で、「三越現代劇第二回公演」として轟夕起子、三島雅夫らによるものだ。その後、賀原夏子が率いるコメディ専門の劇団NLTが1987年に初演し、1991年、1998年、2002年と好評を受けて繰り返し上演しており、1991年に賀原が亡くなってからは、客演の形で淡島千景、淡路恵子の二人が演じた。コメディに興味を示す役者は多いが、かなり高度な技術を必要とするのも事実だ。 続きを読む

011.『東海道四谷怪談』作:四世鶴屋南北

 歌舞伎の「怪談」と言えば、まずこの作品の名が挙がるのではないだろうか。江戸時代もそろそろ終わりに差し掛かろうという1825(文政8)年に、鶴屋南北の手によって書かれた歌舞伎だ。多くの人々が知る話の内容は、民谷伊右衛門という悪人が、自分の妻・お岩に顔の変わる薬を飲ませ、その祟りに苦しむ、という辺りだろうが、それ以外には何が描かれていたか、となると「?」という形だ。もっとも、我々の名作に対する知識はそういうもので、海外の名作にしても学校で題名だけは暗記させられた…というものが多い。 続きを読む

私が選んだ100本 010.『ハムレット』2017.06.12

 日本の演劇史の中で、今までに最も多く演じられた翻訳劇ではないだろうか。作者は言わずと知れたシェイクスピア(1564~1616)。『ハムレット』に『オセロー』、『マクベス』、『ロミオとジュリエット』の四大悲劇はあまりにも有名だ。 続きを読む

私が選んだ100本 009.『元禄忠臣蔵』

 劇作家の真山青果(1878~1948)が、歌舞伎の『忠臣蔵』のもとになった「赤穂事件」を、史実を丹念に調べ、全10編にわたってこの事件を描いた連作の歌舞伎、とでも言おうか。1934(昭和9)年に最終編の『大石最後の一日が上演され、1941(昭和16)年に『泉岳寺』が上演されるまで、実に7年をかけた大作である。 続きを読む

私が選んだ100 本 008.『王女メディア』2017.05.29

 今回はギリシャ悲劇。作者のエウリピデスは紀元前480年頃の生まれで、紀元前406年頃に亡くなったとされている。今から約2,500年も前に、高度な劇的要素を持つ作品が上演されていたことには驚くばかりだ。古い時代のことゆえ、曖昧な部分も多いが、70年を越える生涯の間に90本以上の戯曲を書いたとされているが、現在確認が可能なのは、『バッコスの信女』、『アンドロマケ』、『メディア』など、19編しかない。いや、19編も残っている、と言うべきだろうか。 続きを読む

私が選んだ100本 007.『修禅寺物語』岡本綺堂

 歌舞伎には「新歌舞伎」というジャンルがある。明治以降に歌舞伎のために創られた作品を指す。坪内逍遥(1859~1935)、岡本綺堂(1872~1939)、真山青果(1878~1948)長谷川時雨(1879~1941)など、江戸時代の歌舞伎の世界には身を置かず、明治以降に小説家や批評家などの文筆家として身を立てていた人が、歌舞伎に提供した作品、という解釈が最もしっくりくるだろう。今の歌舞伎のレパートリーにも「新歌舞伎」、つまり明治以降の作品がずいぶん含まれている。 続きを読む

「追悼・日下武史さん」2017.05.18

 劇団四季の創立メンバー・日下武史が86歳で亡くなったという知らせを聞いた。静養先のスペインでのことだったという。以前から体調を崩していると耳にしており、年齢的な問題も考えると、もう舞台を観ることは叶わないだろうとは思っていたが、たとえ芝居ができなくても「日下武史がいる」という精神的な支柱の意味は大きかった。 続きを読む

私が選んだ100本 006.『ふるあめりかに袖はぬらさじ』作:有吉佐和子

7月に明治座で大地真央が明治座で演じると話題になっている。ただ、「音楽劇」と銘打ってあり、そのままの形での上演ではないようだ。小説家として数多くのヒット作を生み出した有吉佐和子(1931~1984)は、古典芸能に造詣が深かったことから、初期の作品には芸道に題材を得たものが多い。のちに、自作を自らの手で戯曲に脚色したものある。その中の一つがこの『ふるあめりかに袖はぬらさじ』だ。明治維新を前に、尊皇だ、攘夷だと揺れ動く時代の横浜。そこで起きた、外国人相手の花魁の死を、吉原から流れて来た呑んだくれの芸者・お園が面白おかしく話しているうちに、どんどん話が大きくなり、予想もしなかった事態に発展する…。 続きを読む

私が選んだ100本 005.『勧進帳』歌舞伎

 現在までに上演されて来た歌舞伎の中で、群を抜いて上演回数が多いものではないだろうか。古典芸能の場合、作者が特定できないものもある。この『勧進帳』も、原型は元禄年間に初代市川團十郎が演じた『星合十二段』という作品の中に取り入れられた。その後、江戸末期の天保11(1840)年に能の『安宅』を取り入れて七代目市川團十郎が演じた。現在、我々が観ている形に最も近い形式にしたのは、明治時代に活躍した九代目市川團十郎(1838~1903)だ。いずれにしても、市川團十郎家の芸として、連綿と受け継がれて来た。最近はさほど厳しくないようだが、かつては、市川家の許可がなければ、この芝居を演じることができなかった、という時代もある。 続きを読む

004.『屋根の上のヴァイオリン弾き』作:ショラム・アレイヘム 2017.05.01

 今年の12月に、市村正親の主演で日生劇場で上演されるミュージカルの名作だ。作者はショラム・アレイヘムと記したが、厳密に言えばこれはミュージカルの元になった小説「牛乳屋テヴィエ」の作者だ。それをジョゼフ・シュタインの脚本、ジェリー・ボックの音楽でミュージカル化された。1964年にブロードウェイで初演され、以降、8年間、3,242回のロングラン公演に及んだ作品だ。日本ではアメリカに遅れること3年、1967年に森繁久彌(1913~2009)の主演で越路吹雪、淀かほる、益田喜頓、浜木綿子などの豪華なメンバーで幕を開けたが、不評に終わった。それが、72年の再演で火が付き、76年から82年まで7年間、毎年各地での上演を重ね、日本列島を『屋根の上』ブームに巻き込んだ。森繁久彌は結果的にこの舞台を86年まで907回演じることになり、84年の公演は帝国劇場での半年に及ぶロングラン公演が完売、というほどの熱狂を起こした。

 以後、主役のテヴィエをはじめ全部のキャストが入れ替わり、94年に西田敏行が、2004年からは現在の市村正親がテヴィエを演じている。この作品が初演された昭和42年の日本では、まだ「ユダヤ人の民族差別」を題材にしたミュージカルを受け入れるべき土壌が、観客の中に醸成されてはいなかったことが大きかったのだろう。どんどん地球が狭くなるにつれて、このミュージカルが象徴している「家族愛」の部分も前面に押し出され、もはや古典のミュージカルとして繰り返し上演され、今回で実に28回目の公演となり、上演回数はトータルで1300回を超える。

 私が最初にこの舞台を観たのは1978年のことで、40年近く前だ。すでにブームは起きており、その熱狂に巻き込まれた形だったが、森繁だけではなく、初演以来907回までの舞台を共にした賀原夏子や益田喜頓、須賀不二男らの脇役らの助演陣、相手役の女房・ゴールデの淀かほるなど、メンバーも腕利きを揃えた豪華な舞台だった。

 以降、この作品を観て来た中で、残念なのは、舞台に生きる登場人物から「匂い」が感じられなくなったことだ。時代の変化の中で、作品を貫く「家父長制度」は、日本では崩壊した。また、「差別」に対する感覚は鋭敏になったものの、多くが「個」の問題であり、民族差別に関する理解は、初演当時とはあまり変わっていない。ここに、『屋根の上のヴァイオリン弾き』が抱えている問題があるのだが、それを責めたところでどうにもなるまい。同様な視点で言えば、この作品よりも数年ずつ早くブロードウェイでの初演、映画化、日本での上演、名作化の歩みをたどって来た『マイ・フェア・レディ』も同じ問題を持っている。これは、単に貧乏で下品な花売り娘のイライザが、言語学者であるヒギンズ教授によって世にも稀なレディに仕立てられる、というだけの話ではない。この二人の間に厳然と存在していたイギリスの身分制度や階級制度による「格差」の問題を抜きには語れない。そこが明確に描かれて初めて、『マイ・フェア・レディ』は成立する。しかし、ここ数回の舞台を観た限り、イギリスの当時の上流階級に属する人物は一人もおらず、物語の前提が崩壊している。

 私は、前回の作品を紹介する中で「普遍性」という言葉を使った。移ろう時代の中、変わりゆく人々の感覚の中でも変わらない感情である。しかし、今やその「普遍性」すら揺らぎ始めている時代なのだ、と言えるのかもしれない。しかし、演劇人が、ここで方向を見失ってはいけない。道に迷った時こそ、原点に立ち度戻るべきではなかろうか。

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