11月3日は「文化の日」で、芸術・文化にちなんだ様々なイベントが各地で行われる。中でも大きなものは、芸術・文化で研鑽を積み、多大なる貢献を果たした人に贈られる最高の栄誉「文化勲章」の親授式が皇居で行われることだろう。この「文化勲章」は1937年、そろそろ日本を巡る状況が、風雲急を告げる如くきな臭くなり始めた時代のことだ。第一回目の受賞者は、物理学者の長岡半太郎、本多光太郎、木村栄、洋画家の岡田三郎助などが受賞している。その後、能楽、人形浄瑠璃、歌舞伎などの古典芸能の分野からの選出がスタンダードだった。例年、10月の末に文化功労者、文化勲章の受章者が発表になるが、アニメなどにも幅が広がってきたのは時代の象徴とも言える良い傾向だ。
文化の日近辺の時期は、芸術以外にも「スポーツの秋」、「読書の秋」、「食欲の秋」…、何をするにもよい季節ということだ。もっとも激化する気候変動で、秋の過ごしやすい日々がどんどん短くなっているのも問題だ。
「文化の日」は、1946年、「日本国憲法」の公布を記念して制定されたもので、それ以前は明治天皇(1852~1912)の誕生日を記念して「明治節」と呼ばれたいた。それが、戦後のGHQの政策により「文化の日」となった。本来であれば「憲法記念日」になるわけだが、実際には憲法の公布ではなく施行された翌年の5月3日が「憲法記念日」となったいきさつがある。
このエッセイでことさらに声を張り上げるまでもなく、日本は「芸術・文化」への関心が低く、国としての取り組みが諸外国に比べて格段に低いことは多くの面ではっきりと見える。「クール・ジャパン」の一環でゲームやアニメーションなどが海外から高い評価を受けていながら、自国の文化に関しては関心が低いようだ。「文化後進国」という、あまり有難くない呼び名もある。日本の文化や伝統に興味を示す若い世代や海外の人々が増えているのは事実で、それは嬉しい限りだが、中には海外から訪れる人よりも日本のことを知らない人もいる。
2023年に老朽化などで建て替えを発表し、一時閉館している半蔵門の国立劇場。歌舞伎などの古典芸能に必要な「廻り舞台」や「セリ」などの複雑な舞台機構を備えた大劇場の建設は容易なことではなく、その行く末が話題になっている。円安や戦争による原油高騰などの問題が、さらに事を複雑にしているようだ。しかし、これはこと国立劇場に限った問題ではない。
新宿から近い初台に1997年に開場した「新国立劇場」。約1800席のオペラ劇場、1000席程度の中劇場、400席前後の小劇場(中劇場、小劇場の客席は稼働式のため、公演により客席数が変化する)を要する文化の拠点だ。来年で開場30年を迎えることになるが、逆に言えば、30年前まで、我が国には「国立のオペラハウス」が存在しなかった、ということだ。先に述べた「国立劇場」の開場も1966年、60年前のことだ。いずれも明治期から構想はあったものの何度も頓挫し、国立劇場は昭和、新国立劇場に至っては平成になってようやく実現したことになる。ここだけを見ても、一目瞭然だ。
1980年代末、いわゆる「バブル期」には、各企業が「メセナ」の名の元に、企業名を冠した舞台公演を盛んに行った。いずれもPRの一を出ず、ほとんどがバブル崩壊と共に姿を消してしまった。残ったのは地方の立派なホールや会館ばかり、という皮肉な現実を見ても、この国の百年の計の中には「文化・芸術の育成や継承」が多くのものの後回しにされていることがハッキリと見て取れる。
もっとも、こうしたものはコロナ禍の折にも指摘されたが不要不急ではなく、生活必需品でもない。まずは日々の生活が安定し、この先一年や二年は今のままの暮らしが続けて行けそうだ、じゃあ、映画でも、あるは芝居でも、という、いわば「おまけ」の部分に当たる。諸外国に比べて、生活との距離感が遠いのだ。今は、世界的に多くの問題が起き、不安定な要素も多く、文化どころの騒ぎではないのかもしれない。しかし、数千年の歴史を刻んできた音楽や演劇、絵画などの芸術は、もっと過酷な時代も経験してきたはずだ。私たちの時代が、それを乗り越えられない、という絶望に至るのはまだ早いだろう。
これからの時代、文化や芸術と呼ばれるものの範囲や質がどう変わり、何が支持されるのか。新しいものと古いものはどういう関係になるのか。1900年代から2000年代のある時期を生き、その中でさまざまな物を見聞きした私には、まだ見ぬ、いや見ぬことが決して叶わぬ100年後、200年後の舞台や音楽のありようがとても気になるのだ。そこに不安が全くないと言えば嘘になるが、それよりも期待が大きいのは確実だ。願わくば、今、世間を騒がせている「AI」に乗っ取られることなく、生身の人間だからこそ見せ、聴かせられるものだけが残ってほしいものだ。
植物は肥料をはじめ、さまざまなテクノロジーで成長を早め、収穫を早めることが可能な時代になった。しかし、「文化」だけはそうは行かない。古典芸能の家に生まれた子供がその道を歩む時、小学校の折から各種の稽古に励まなければならないのはそれだけの理由があってのことだ。時代のスピードが加速化する中で、「熟成」を待たねばならない種類の文化には、今が最も受難の時代なのかもしれない。
