一口に「芸」と言っても、その姿かたちを万人に見えるような形で現わせないのがその難しさであり、妙味でもある。舞台でも「芝居」「演劇」「芸術」と呼び方もさまざまな一方、「芝居」と「芸術」の違いは何か、と聞かれても、私は明確な答えを持っていない。それは、今述べたように、共有する姿を見せることができず、観客の「感性」にゆだねるものだからだ。

観客の多くが「巧い」と言い、感嘆の声や涙、大きな笑いがあれば、それは「良い芸」だということになる。これは比較的分かりやすい例だろう。その一方で、多くの観客が気付き、拍手喝采を贈るような場面ではない、ふとした仕草や台詞の間に、積み上げてきた「芸」を感じさせられることがある。こうしたものは、マニュアル化できないから面白くも難しくもあるのだ。また、それを見せる側も、大受けを狙っているわけではないだろう。自分の演技の工夫の糧として、あるいは自身の成長のための行動だ。こうした、役者の苦心を舞台からふと見て取れた時は嬉しいものだ。それが「大向こう受け」を狙わずに、芝居のさりげないスパイスになっている時などはさすがなもの、と感心する。

ジャンルには関係なく、観客席へ発散する演技よりも、自分の内へ感情を抑え込み、どこかで発露する、あるいは呑み込んだまま幕が切れる演技の方が難しいような気がする。場合によってはその苦心が楽をしているように見られることもあるだろう。中には、何もしていないようでいながら、主役を食ってしまう芝居を見せる俳優もいる。演じられている物語とは別に、舞台の上ではそうした役者同士の「芸の闘い」が繰り広げられているのだ。

新派の座付き作者でもあった川口松太郎(1899~1985)の名作に『遊女夕霧』という芝居がある。新派の名女形・花柳章太郎(1894~1965)が当たり役としていた。堅いことで知られ、贔屓も多かった呉服屋の手代が、遊女に入れ揚げ、お客から預かった金を使ってしまい、逮捕される。その詫びに、被害に遭った客の家を周り、詫びる遊女の人情噺だ。ここで、悟道軒円玉(ごどうけんえんぎょく)という実在の講談師も登場し、その家に夕霧が詫びに来る。夕霧と円玉のやり取りを黙って聞きながら、火鉢の灰をかき回したりしている女房の役は、女形の初代英太郎(はなぶさ・たろう)が得意にしていた。たいした芝居をするわけではないのに、キチンと観客にその情が伝わる、手練の芝居だった。  この作品を、文学座で演じたことがある。夕霧は太地喜和子(1943~1992)、女房は杉村春子(1906~1997)だった。太地は精一杯の芝居を見せたが、後ろに座ったままの杉村が、結局舞台を「食って」しまった。これは、杉村が意地悪をしたのでも何でもなく、劇団でも外部でも主役級の芝居が多かったために、どうしても観客の視線が杉村に集まってしまったためだった。

      同じ芝居でもこういうことが起きるのが、「生の舞台」」の愉しみで、芝居が活きている証拠ではないだろうか。