サラブレッド中のサラブレッドと言っても良い女優である。本人はそう呼ばれることを必好ましくは思わないだろうが、紛れもなく松本幸四郎の血、高麗屋の血が流れている。初舞台が娘役とは言え歌舞伎座だったのが、それを象徴している。17歳の折の1994年5月に、新橋演舞場での新派公演に、父・幸四郎、兄・市川染五郎と共に出演しているが、初期の舞台で忘れがたいのは、1999年1月の新橋演舞場公演『天涯の花』だ。宮尾登美子原作の小説を舞台化したもので、22歳の若さで初座長を勤めた舞台でもある。徳島県の剣山を舞台に、高山植物・キレンゲショウマを撮影に来たカメラマンと恋に陥る無垢な少女を描いた作品で、相手のカメラマンは内野聖陽が演じた。この時の松たか子の可憐な美しさとその中に真っ直ぐに通った花芯の清らかさは忘れがたい。大劇場での一ヶ月公演の座長は、スポットライトの中心に立つ代わりに想像を絶するプレッシャーと神経に苛まれる立場でもある。それを見事に乗り越えたばかりか、この舞台を一つのきっかけに、一度にいろいろな色の花が咲きだしたような感覚で、次から次へとその才能を感じさせる舞台を見せた。

同じ年に演じて2001年に再演を果たした『セツアンの善人』で見せた二役の巧さもさることながら、この作品の演出家である串田和美をはじめ、野田秀樹や鈴木裕美などの演出家に恵まれたことも彼女が自分で手にしたチャンスだ。松本幸四郎というミュージカルの大先達にミュージカルへの道を拓いてもらったことも大きい。初のミュージカル作品は1995年6月に青山劇場で父・松本幸四郎が演じた『ラ・マンチャの男』のアントニア役だった。これを3回演じた後、ドン・キホーテの憧れの姫である相手役のアルドンサに回り、2012年8月・帝国劇場の1200回記念上演を含めて5回演じている。「父だから」「娘だから」という妥協や甘えが一切許されず、かえって厳しい眼差しを注がれる舞台の上で、これだけの経験を重ねられたことは幸運であると同時に、その幸運に値する実力を持っている、という証拠でもある。事実、演じるたびに芝居の質が上がっている。

しかし、それが着実に身についたことを示した忘れがたい舞台がある。2007年2月にシアターコクーンで演じたフランスの劇作家・アヌイの『ひばり』で見せたジャンヌ・ダルクだ。ブレヒトといい、アヌイといい、芝居の中では高等数学にも匹敵する芝居だ。歴史上の実在の人物であるジャンヌ・ダルクを描いたものは他にもあるが、アヌイの『ひばり』は、ある意味では完成されたジャンヌ・ダルク像である。彼女のジャンヌは、満ち溢れる透明感がまず素晴らしかった。綺麗に磨き上げられ、鏡のような輝きを持つガラスのような透明感だった。不思議なことに、それでいて割れてしまいそうな硬さがなくしなやかなのだ。私は、こういう『ひばり』には、今まで出会ったことがなかった。この年、彼女、30歳。それまでに、実に26本の舞台を経験したことが、30歳にしてこのジャンヌを演じさせたのだ。父や兄が演じている歌舞伎には「熟成」が必要だ。長い時間をかけて一つの役を磨き上げてゆく過程は、時として気が遠くなる。もちろん、女優にも熟成は必要だ。しかし、能の世阿弥が言うところの「時分の花」、その年代ごとに咲く花を、これほどに鮮やかに、見事に咲かせた女優は、他には知らない。彼女は、よほど舞台が好きなのだ、と感じる。

若いながら、「安心して観られる役者」だ。こうなるのは、並大抵のことではない。しかし、自然に見せるところが、立派だ。