今、最も脂が乗った役者の一人だろう。堤真一に注目をし始めたのは、1990年に江東区・森下にあった「ベニサン・ピット」という小劇場で麻実れいと演じたコクトーの『双頭の鷲』の若き革命家・スタニスラスではなかったか。もちろん、彼がジャパン・アクション・クラブ(JAC、現・JAE)の出身であり、すでに多くのジャンルで活躍していることは知っていたし、『双頭の鷲』以前の舞台も観てはいる。しかし、この舞台が最初の彼の「変わり目」であったことは間違いないだろう。「ベニサン・ピット」は、客席数が200にも満たない小劇場である代わりに、観客席と舞台との距離が近く、濃密な空間である。そこで、現代フランス演劇の名作でもあり、手ごわくもあるこの作品の上演は、画期的でもあった。コクトーの修辞を散りばめた膨大な科白、そして内面の葛藤と若さの発露、今から23年前の堤真一には大きな壁であったことは間違いない。私がこの舞台を好もしく観た理由は、彼が持つ「トゲトゲしさ」だ。若さゆえの暴発寸前のエネルギーが、いつ爆発するのかという危うさを孕んだ革命家の演技は、黒いベールに包まれた麻実れいの王妃の「静」の芝居に対して、「動」という対照だけではない不安感を観客に与えた。それが、この作品における革命家の悩みとオーバーラップして、「ハマった」のである。彼をこの役に選んだプロデューサーの慧眼と言えよう。

以来、彼の舞台はずいぶん観て来た。最近で印象に残っているのは、2013年4月に新国立劇場中劇場で上演された宮本研の『今ひとたびの修羅』の吉良常だ。役名からもわかるように、尾崎士郎の小説『人生劇場』を舞台化したものである。原作は文庫で八冊に及ぶ長編を宮本研が2時間半の舞台にまとめ、堤は「義」に生きる頑なな漢(おとこ)の姿を好演した。彼の魅力の一つに暴力的な力とも言える芝居の拡散がある。観客席へ、物凄いスピードでボールが飛んで来るようなイメージだ。新国立劇場中劇場は約1000席の規模だが、200席前後の世田谷のシアタートラムのような劇場でも、その勢いは変わらない。こう書くと、エネルギーを持て余して、どこでも芝居が暴発しているようだが、抑制の利いた芝居や、コメディに面白みを見せる。

そうした舞台で印象的なのは、2009年にシアタートラムで演じた『バンデラスと憂鬱な珈琲』というコメディだ。所属するシス・カンパニーの主催で、ジェットコースターのように理不尽な出来事に翻弄される主人公を軽快に演じ、客席の爆笑を誘っていた。こうした軽みも彼の魅力の一つである。映画、テレビと多くの仕事を経験しながらも、舞台という軸足を離さず、さまざまな芝居に挑戦して来たことが、彼の財産だろう。若い頃には苦手だった「抑制」が必要な役も、最近は重さが出て来た。

役者にはそれぞれ「空間把握能力」とでも言うべき力があり、300人ぐらいの劇場で最大限の能力を発揮する人もいれば、1000人を超える大劇場での芝居を得意とする役者もいる。10年ほど前までは、彼に適した劇場規模は500人程度だと感じていた。しかし、先日の『今ひとたびの修羅』を観た限り、もう充分に1000人規模の劇場の観客を集中させるだけの能力を持っている。それは、彼が作品の種類を厭わず、舞台の経験を重ねた結果である。努力が無駄にはならないことを、今までの仕事が証明して来たのだ。舞台という「修羅場」をいくたびもくぐり続けて来たことが、役者としての厚みになり、魅力になった。40代後半でこれだけの力を持つ舞台俳優はそう多くはない。これからも、どんどん舞台への野心を広げてもらいたい役者の一人だ。