演劇批評

一覧 (13ページ目/全18ページ)

「少女仮面」 2015.10.06 ザ・スズナリ

「アングラの女王」の異名を持つ李麗仙が、唐十郎の代表作の一つ、『少女仮面』を演じている。もはや、「アングラ」という言葉が死語となった演劇界において、金守珍が、自らの演出・出演で、主役の春日野八千代に李麗仙を迎えての上演だ。昭和44年の初演以来、何回かこの役を演じている李麗仙が、70歳を過ぎてなお、伝説の舞台への挑戦だ。

「宝塚歌劇団の至宝」と呼ばれ、最年長の女優でもあった大スター・春日野八千代(1915~2012)。戦前からの活躍は目覚ましく、「永遠の二枚目」とも評された実在の女優を主人公にし、地下にある喫茶店を舞台に、唐十郎独特の舞台観が表現されてゆく。戦時中に満洲で病を得た時に出会った甘粕大尉とのエピソード、春日野八千代に憧れる少女・緑丘貝(松山愛佳)とその祖母(金守珍)とのやり取り。「Nikutai」と名付けられた喫茶店の中で起きる出来事は、いとも簡単に時空を飛び越え、空間さえも飛び越える。衰えゆく美貌を恐れ、「永遠の処女性」を求める春日野は、その肉体をも否定される…。

こうした芝居の粗筋を説明することはほとんど意味がない。いくら言葉を費やしても、他の芝居のように説明はできず、空疎になるだけだ。むしろ、一観客として、幕が開いた瞬間に唐十郎が創り出し、金守珍が具現化しようとした世界に飛び込んでゆくしかない。150人も入れば満員の下北沢の小劇場に、全身を白いスーツで包んだ李麗仙が現われた瞬間、その空間が魔法にかけられたように観客ともども時空を飛び越えたのを感じた。『嵐が丘』の台詞を言い、緑丘貝に語る李麗仙は、演じる春日野八千代と李麗仙本人との間を自由に行き来しているように見える。この役は、彼女以外には考えることのできないものだ。今、この瞬間に李麗仙の『少女仮面』に出会えたことは、大袈裟ではなく一期一会の幸運としか言いようがないだろう。

緑丘貝を演じる松山愛佳。文学座からの参加だが、自分が持っている芝居の抽斗を全部さらけ出して、李麗仙にぶつかり、好演を見せた。文学座の演技論にはない芝居を要求されるであろうだけに、この舞台が彼女の成長に与える影響は大きいだろう。腹話術師を演じた申大樹も熱演である。

誤解のないように書いておくと、小劇場の芝居がアンダーグラウンドとイコールで結ばれるわけではない。今は、「アングラ」という略語についても説明が必要だろう。1960年代から70年代にかけて起きた反体制・反商業主義に基づく演劇、とでも言えばいいだろうか。それまでの演劇のあり方に対する反発の姿勢を作家や演出家の世界観と共に強く打ち出したもので、いわゆるストレート・プレイや大劇場での演劇とは明らかに一線を画したものだ。演劇だけではなく、映画や他の文化にもこの動きは広がり、唐十郎や、寺山修司などがその旗手として一世を風靡したが、他の演劇との垣根が時代と共に低くなった。「新宿梁山泊」は、そんな中でもなお「アングラ」の作品を上演し続けている劇団だ。

こうした経緯や現状を踏まえると、今回の公演がいかにタイムリーなものであるかを感じる。60年代とは別の混沌や不安を抱えた今、『少女仮面』がもたらした衝撃は、日本の演劇史において明らかに「伝説」になるであろう。

「黒蜥蜴」 2015.09.08 東京芸術劇場

「黒蜥蜴」
2015.09.08 東京芸術劇場

 江戸川乱歩の原作を三島由紀夫が脚色した、何とも豪華な戯曲だ。妖美、耽美の世界を描く両巨頭が組んだ作品で、戯曲としての歩みを見ると初演は新派の初代・水谷八重子で1962年のことだ。以後、68年に美輪明宏(当時:丸山明宏)が演じて以来、今回が10回目の上演となる。他に映像化されてもいるが、『黒蜥蜴』と言えば美輪明宏、という構図が完全に定着したのは、1993年に23年ぶりに演じて以来だろうか。それからはほぼ数年おきにこの作品を演じ、私も93年の舞台からは逃さずに観た。プログラムによれば、肉体的な条件や今年が三島生誕90年、没後45年などの節目に当たることから、この舞台で最後にするとのことだ。 続きを読む

『李香蘭』 2015.09.01 自由劇場

 間もなく李香蘭(山口淑子)が亡くなって一周忌を迎え、公演期間中の7日が命日である。今年は戦後70周年の節目でもあり、例年に比べて戦争を扱った芝居が多い。李香蘭という名は時代に残っているが、実際にこの名で彼女が活動したのはわずか7年に過ぎない。以後は、「山口淑子」としてテレビ、その後の政界進出、国際交流と活躍の幅を広げたが、晩年はあまりテレビへ出ることもなく、今の若い世代は山口淑子の名前さえ知らない人々も多いだろう。 続きを読む

BROADWAY MUSICAL LIVE 2015 2015.08.29 新国立劇場

 年に一度の祭典、とも言うべきミュージカルの名曲コンサート。今年で6回目となるが、古今東西の名曲を集めたコンサートはミュージカル・ファンにはたまらないだろう。今年も二幕で約30曲のナンバーが並んだ。「マンマ・ミーア」、「レント」、「ラ・カージュ・オ・フォール」、「レ・ミゼラブル」、「ラ・マンチャの男」、「美女と野獣」、「エリザベート」などなど…。こうしてみると、日本にミュージカルが根付いて来た歴史の一面を見るようでもある。 続きを読む

「南の島に雪が降る」 2015.08.17 三越劇場

 戦後70年を迎えた今年、演劇界でも戦争を題材にした作品の上演が例年よりも多かったように感じる。それが当然の心理だろう。その中でも、この作品は、原作者の俳優・加東大介がニューギニアで実際に体験したことに基づいており、映画化された折にも大ヒットし、映像や舞台でもたびたび上演されて来た。今回はそれを前進座が上演しているが、この劇団が上演することには大きな意味がある。と言うのは、加東大介は当時前進座に属していた俳優であり、召集令状が来た時にも「市川莚司」(いちかわ・えんし)の名で舞台に出ていたからだ。その後、加東は前進座を離れ、テレビや舞台で活躍をした後、昭和50年に64歳の生涯を閉じた。こうしたことどももキチンと書いておかないと、時代の流れの速さの中ですぐに埋もれてしまうのだ。

 さて「南の島に雪が降る」だ。昭和19年、ニューギニアの奥地、マノクワリでは戦況が厳しさを増す中で食糧や燃料の補給路を絶たれ、マラリアや栄養失調などで多くの兵士を喪い、兵士の士気は下がる一方だった。そこで、士気を鼓舞するために、司令官たちが相談の上、マノクワリに演芸分隊を作ることにした。島に配置された兵士の中には、スペイン舞踊のダンサー、ムーラン・ルージュの脚本家、元コロムビアの専属歌手、友禅のデザイナー、長唄の師匠、そして本業の役者と多士済々である。オーディションの後で、演芸分隊が活動をはじめ、各部隊を慰問に回る。もう内地へ帰ることを諦めかけている兵士たちに、分隊は苦労を重ねて女形の着物を拵え、化粧をさせて故国の女性の姿を見せ、大人気を博す。中にはジャングルの奥から片道四日もかけて、芝居を見せてもらえないか、と頼みに来る兵士もいた。

 とうとうマノクワリに「歌舞伎座」ができ、人気作品『瞼の母』の上演が決まった。もう明日をも知れぬほど容態が悪化した東北出身の兵士のために、紙で作った雪を舞台に降らせ、故郷を想い出させようとする悪戦苦闘する人々…。

 この芝居は群集劇とも言うべきもので、誰のこの部分が際立っていた、というよりも、作品の味わいがどうだったかを評価すべきだろう。もちろん、主役の加藤徳之助(加東大介の本名)を演じた嵐芳三郎をはじめ、司令部参謀を演じた藤川矢之輔らの第三世代が安定感のある芝居を見せた功績は大きい。ただ、ともすればあまりにもよくできた美談で終わってしまいかねない内容に、リアリズムを持たせた瀬戸口郁の脚本と、西川信廣の演出は緻密で、評価できる。美談だけではすまない「人間」が描かれていたからだ。もっと言えば、作者の加東大介が本に描いたドラマも、それだけですべてではなかったはずだ。戦地へ取られた人々の中には、戦争当時の事を一切語らずにその生涯を終える人もいる。思い出すのも口にするのも憚られる、あるいは嫌悪するような経験もたくさんしているはずだ。

 また、現代の感覚からすれば、戦争の状況下でわざわざ仮説とは言え300人規模の劇場を建てるよりも他にすることがあっただろう、と通常は感じるだろう。しかし、当時のニューギニアはもう応援の物資も武器も運べる状況ではなく、率直に言えば座して死を待つのみ、という苛酷な状況だったのだ。植物を育てても、収穫までの数か月を持ちこたえることができず、道端の草であろうが木の根であろうが、奪い合いのようにして食べることで生き延びるしかなかった。人が死の瀬戸際に立った時、宗教や祈りと同等に、心に癒しを与えるのが演劇であることは、この戦争の他の国の収容所の例にもある。

 それらをあからさまに見せるのではなく、その痕跡を微かに感じさせることが重要なところだと考える。それが巧くできている脚本だったために、人間の良い面も醜さをも取り混ぜて一つの物語に出来上がったのだ。これから、この作品が前進座の新たな世代のレパートリーに加えられ、次の世代へ伝えるべき事柄を、芝居を通じて残してほしいものだ。

「貴婦人の訪問」 2015.08.14 シアタークリエ

 この夏は海外のミステリアスな作品が流行るようだ。もはや温帯とは言えないこの気候では、国産よりも海外の方がスパイスが効いている、ということだろうか。2013年にウィーンでミュージカル化された同名のストレート・プレイの日本初演である。ドイツの架空の町・ギュレンは、工場の閉鎖などで失業者が溢れ、自治体そのものが倒産の危機に瀕している。他人事とは思えない話だ。そこへ、この町の出身で途方もない財を成して成功を収めたクレア(涼風真世)が一時帰って来る。ギュレンのお偉方は、この財政危機をクレアからの援助で凌ごうと考え、交渉の適任者として選ばれたのはクレアのかつての恋人・アルフレッド(山口祐一郎)だった。ホテルで開かれた歓迎会の席で、クレアはギュレンに対し、たった一つの条件付きで、20億ユーロという膨大な金額の寄付を申し出る。その条件とは、かつての恋人・アルフレッドの「死」だった…。

 何とも突拍子もない展開だが、ミュージカル化される前の元の戯曲の骨格がしっかりとしており、人物が丁寧に描かれているだけに、観ていて違和感はない。むしろ、日本円にして2,000億円以上の対価を払って一人の人間を殺す、その復讐の理由は何か、ということに興味が湧く。昔の恋人に会って、ほのかな嬉しさを感じていたアルフレッドは、町で雑貨屋を経営し、真面目で誠実な人柄で評判も悪くなく、妻のマチルデ(春野寿美礼)や二人の子供と貧しいながらも幸せな家庭を築いていたのが、一転して地獄に突き落とされることになる。

 かつての恋人とは言え、もう何十年も前の青春の想い出であり、自分の命と引き換えにされるほどの恨みを買っていたとは思えないアルフレッド。クレアの有り難いとは言え、余りにも非常識な提案に、自治体を預かる者として頑強に否定をする市長のマティアス(今井清隆)や校長のクラウス(石川禅)、警察署長のゲルハルト(今拓哉)、牧師のヨハネス(中山昇)らの有識者たち。

 しかし、時が経つに連れて、多くの情報が判って来る。アルフレッドがクレアと別れた時には、子供がお腹におりアルフレッドのせいで流産をしたこと、町の工場が閉鎖されたのは、クレアが工場を買い取り、閉鎖に追い込んだこと。そして、銀行は貸付を再開し、人々はクレジットで物を買うことを始める。今までの抑圧から解放された市民の生活はいきなり派手になり、アルフレッドの息子まで車を乗り回す始末だ。そうなると、『人道的見地』からクレアの非常識な要求を拒否していた人々の考えが変わり始める。元はと言えば、町が潰れそうになったのは、アルフレッドがクレアに酷い仕打ちをしたことが原因で、その原因さえ解決されれば、町は発展するのだ、と…。アルフレッドが有罪なのか無罪なのか、過去の事件に対して、住民による審判がくだされる。その結果は…。

 山口祐一郎、涼風真世、春野寿美礼の三人に加え、脇を固める今井清隆、今拓哉、石川禅など、いずれもミュージカルには定評がある人々だけに、舞台には抜群の安心感がある。もう一つ、一々名前を挙げることはしないが、アンサンブルが見事なまとまりを見せている。大掛かりなミュージカルも悪くはないが、手練れを集めてしっかり創った芝居の面白さが味わえる作品だ。ストーリー展開のテンポも良く、涼風真世のクレアが、不気味な味を見せ、今までに演じて来た役柄にはない魅力を見せた事は大きい。山口祐一郎の安定感もいつも通りで、やはりこの二人に追う部分は大きい。

 シアタークリエは短期間でさまざまなジャンルの作品に挑戦しているが、久しぶりに再演に値する作品に出会ったような気がする。酷暑の中を出かけた甲斐があったと言うものだ。

「外交官」 2015.08.03 青年座劇場

 昭和37年生まれの私は、戦争は知らない。昭和4年生まれの父から機銃掃射や空襲の話はたびたび聞いたが、リアリティを持つことはできなかった。私と戦争をつなぐ微かな糸のような記憶があるとすれば、昭和40年代初頭、今のように綺麗でも賑やかでもない頃の新宿の西口と東口を繋ぐ悪臭が漂うトンネルの際に、「傷痍軍人」と思しき人が白衣で座っていたのを、言いようのない、また理解のできない不安と恐怖で見つめていたことだろうか。 続きを読む

「アドルフに告ぐ(ドイツ篇)」 2015.07.18 紀伊国屋ホール

 男優だけで構成している劇団「スタジオライフ」が、手塚治虫の後期の代表作の一つ、『アドルフに告ぐ』を上演している。一つの作品をいろいろなキャスティングで上演するのはこの劇団の特徴で、今回も「日本篇」「ドイツ篇」「特別篇」と三つのパターンがあり、「日本篇」と「ドイツ篇」では、更にキャストがダブルで組まれている。。他の舞台を観ていないので、ここでは「ドイツ篇」だけに触れるが、他の作品のようにキャストが変わるだけではなく、この作品は、ゴールが同じでもそこまでのプロセスが、バージョンごとに違っているようで、そこは興味深い。 続きを読む

「エリザベート」 2015.07.17 帝国劇場

 オーストリア発のミュージカルが完全に日本に定着し、『エリザベート』や『モーツァルト』などの作品が安定した人気を維持するようになって、日本のミュージカル・シーンは更に幅を広げた。この『エリザベート』の東宝版が日本で初演されたのが2000年の帝国劇場公演で、今年で16年目に入る。それ以前に、宝塚歌劇団で日本での初演を果たしている。今回も、6月13日から8月26日まで、約2か月半に及ぶ公演はほぼ完売に近い。最近のミュージカルでは当たり前になった、ダブル、トリプルのキャスティングで、同じ作品でも違った味わいが見られるのも人気の一つだろう。また、時代の移り変わりにより、メインキャストが変わり、過去のキャストとの比較もファンにとっては楽しみの一つだ。 続きを読む

「阿弖流為」 2015.07.15 新橋演舞場

 この作品を、「歌舞伎なのかどうか」という視点で眺めれば、古くからの「古典歌舞伎」に馴染んだファンは眉をひそめるかもしれない。一方、歌舞伎を見慣れない若いファンに言わせれば、「歌舞伎にもこういう物があるんだ」ということになるだろう。今月、市川染五郎が中村勘九郎、七之助兄弟と上演している東北の歴史上の勇者・阿弖流為(あてるい)の姿を描いた作品である。 続きを読む

以前の記事 新しい記事