間もなく李香蘭(山口淑子)が亡くなって一周忌を迎え、公演期間中の7日が命日である。今年は戦後70周年の節目でもあり、例年に比べて戦争を扱った芝居が多い。李香蘭という名は時代に残っているが、実際にこの名で彼女が活動したのはわずか7年に過ぎない。以後は、「山口淑子」としてテレビ、その後の政界進出、国際交流と活躍の幅を広げたが、晩年はあまりテレビへ出ることもなく、今の若い世代は山口淑子の名前さえ知らない人々も多いだろう。

 野村玲子が1991年の初演以来、李香蘭を演じ続けているが、もう24年も経ったのか、と思うと感慨深い。上演される度に観て来たが、今回は二幕冒頭の日本劇場(日劇)での伝説のリサイタルの場面が、本人に生き写しで、元気な時の姿を彷彿とさせたのには驚いた。『蘇州夜曲』『夜来香』などの名曲を懐かしく聴いた観客も多いだろう。また、少女時代からの李香蘭を演じるが、さして違和感もない。実在の人物が存命中に、その半生を演じるプレッシャーは相当な物であったろうと想像するが、本人亡き今、野村玲子が今後の新しい李香蘭像を舞台の上で造形する、という役割も増えたことになる。

 そもそも、タイトルにもなっている「李香蘭」とは何者だったのか。今は、そこから説明を始めなくてはなるまい。日本人ではあったが、父が仕事で赴任していた満州で生まれ、当時の中国の風習で、父と義兄弟の契りを結んだ中国人から中国名をもらった。その名が、「李香蘭」である。やがて、日本は国策で満洲国を建国し、その美貌に目を付けられた李香蘭は、「日満親善」という名のもとに歌手となり、当時の大スターだった長谷川一夫とも共演して映画を撮り、国民的なスターになる。
そして、昭和16年の2月に、現在の有楽町マリオンの辺りにあった日本劇場(通称:日劇)でリサイタルを開き、入りきれない群衆が溢れ、劇場を七回り半もするほどの行列ができ、警官隊が出動したという伝説的な「事件」が起きるのだ。終戦を中国で迎えた李香蘭は、「中国人でありながら、日本のスパイをしていた」という罪で死刑を宣告される寸前、日本人であることを証明する戸籍が届き、命拾いをして帰国する。まさに、「激動」という言葉がふさわしい人生を送った、歴史の生き証人の一人だ。

 その半生を描いた作品が、この『李香蘭』だ。初演当時は、時系列に事実を追ってゆく部分が歴史の教科書のようにも感じたが、今となってはこのようにして見せなければ、私を含めて64年続いた長い昭和に対する知識が不足している観客には理解できないだろう。この戦争当時に、「男装の麗人」として諜報活動を行い、李香蘭とも親交が深かった清朝の愛新覚羅一族・川島芳子を雅原慶が演じ、物語の語り手とする方法が、有効に働いている。これにより、歴史の彼方にある物語を観客のそばへ引き寄せる効果は大きい。

 今、時代の流れは加速度を増している。もう30年もすれば、日本から戦争経験者はいなくなってしまうだろう。しかし、知らないからと言って目を逸らすことのできない問題は多い。山口淑子にしても、言葉にはできない塗炭の苦しみを乗り越え、その後の国際貢献への活動があった。忘れてはならない、目を背けてはならない事実を、こうして芝居の形で舞台から学ぶことは大切だ。江戸時代、芝居と言えば歌舞伎しかない時代に、舞台で多くの歴史的な事件や世相の話題が演じられ、「芝居は無学の耳学問」とも言われた。

 今は情報が溢れている時代だが、だからこそこうして時間をかけて丁寧に創った「演劇」の価値があるとも言えるのだ。若い観客にぜひ観てほしい舞台だ。