芸歴66年を迎えるベテラン中のベテランである。研究生を経て、1950年に劇団民藝の創立に参加し、現在は劇団の代表でもある。日本を代表する名女優の一人であることは、今更言うまでもない。奈良岡朋子の巧さは以前から定評のあるところで、自分が軸足を置いている劇団民藝の活動を中心に、『放浪記』などへの外部出演、テレビドラマ、映画、ナレーションと、幅広い活動はつとに知られるところだ。

民藝、文学座、俳優座の三つ新劇の「三大劇団」と並び称するケースが多いが、これらのいわゆる新劇の劇団に共通して言えることは、カリスマ的な存在が先輩や芸の上の師匠として身近に存在し、劇団を牽引すると同時に、その薫陶を身近に受けながら育つことにある。奈良岡朋子とて例外ではない。瀧澤修、宇野重吉という、日本の新劇史の欠かすことのできない名優二人の時には苛烈とも言える指導を自分のものにして来たからこそ、今の奈良岡朋子がある。

昨年の十二月、恒例の年末の三越劇場公演で、『八月の鯨』が上演された。26年前に、当時93歳のリリアン・ギッシュと79歳のベティ・ディヴィスという往年の名女優が顔を合わせ、その静謐な演技が話題を呼んだ作品だ。元は舞台劇だったものが映画化され、それを今回は本来の舞台劇で上演し、彼女は気難しい盲目の姉を演じた。劇団民藝では、上演に際し、演出家の丹野郁弓が新たに台本を翻訳し直している。「劇団」という役者の個性を熟知している中でこその事で、同時に、この作品に賭ける並々ならぬ熱意が感じられた。その熱意に違わぬ丁寧な舞台づくりは期待を上回るもので、役の隅々までを研究し尽くした奈良岡朋子の女優としての気迫を感じた。

こうした経験は過去にも体験しており、『無名塾』の仲代達矢との共演で『ドライビング・ミス・デイジー』でも観られたことだった。70代から90代までの老女を演じるに当たり、年代ごとに変わる微細な動きにわたるまで研究をした後が見られ、非常に質の高い舞台であった。「新劇」と呼ばれるジャンルの中でリアリズムの追求に重きを置き、その中で研鑽を重ねてきた結果は、こうした舞台に成果として現われている。

その一方で、森光子が2017回の上演記録を持つ『放浪記』では、日夏京子という森が演じる林芙美子のライバルを最も多く演じており、舞台のジャンルを問わず、さまざまな抽斗を持った女優である。ずいぶん昔の話になるが、TBSが「日曜劇場」を放送していた頃、橋田壽賀子の脚本で『おんなの家』という炉端焼きの店を舞台にした三人姉妹のドラマがあった。筋立ては何ということのないドラマだが、今でも時折、大劇場演劇で上演されることがある。三姉妹が、上から杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子と、いずれも腕に覚えのある女優が顔を揃えたドラマは、一回限りの予定だったが評判が良く、シリーズ化された。三人のうち二人が没した今となっては、もう新作を創ることは不可能だが、他の誰がやっても観たいという気持ちにはならない。

もう一つ特筆すべきは、「朗読」の名手であることだ。ドラマのナレーションには定評があるが、朗読やナレーションは、ただ台本を読めばよいというものではない。本編を妨げずに必要な情報を伝えた上で、聞き手のイメージを膨らませる高度な技術が必要だ。民藝には、朗読の名手・宇野重吉がおり、舞台『子午線の祀り』やテレビのナレーション、民話の読み聞かせなど優れた仕事を遺している。その影響を自家薬籠中の物にしたのが奈良岡朋子の朗読術なのだ。この女優の歩みは、もっと評価されてしかるべきだ。