2018年秋に、草笛光子が相手役を松岡昌宏に、演出も変えて『新6週間のダンス・レッスン』として、200ステージを超えた話題作だ。元気な高齢者の活躍が多くの分野で観られる昨今、舞台に立ち、多くの観客の視線にさらされる「俳優」の仕事は過酷だが、84歳の草笛光子が、作品同様に毅然と我が身の「老い」を受け入れながら、見事なステージを見せたのは圧巻だった。相手役の松岡とのイキもぴったりで、二人芝居ではより重要さを増す「間」も活き、性別や年齢を超えた『人間愛』の物語だ。

 海辺に立つ高層マンションで優雅に暮らす未亡人は、決して心が満たされてはいない。すぐ下の階に喧嘩友達の仲良しはいるが、それだけでは、何も予定のない寂寞とした日々を埋めることをできずにいる。そこで、かつて少し経験のある「ダンス」のおさらいをすることにし、パーソナル・トレーナーに教わる。やって来たマイケルはゲイで、口が悪く気分屋。とても、性格が合うとは思えない。初回は喧嘩同然に終わるが、心に深い傷を持ちながら生きている二人の間に、やがて「愛情」とも「友情」ともつかない感情が芽生え始める…。

 「年齢差カップル」の芝居は、他にも『ハロルドとモード』などの秀作があり、珍しいわけではない。この作品が評価されるのは、話が進むにつれてお互いの気持ちとは別に事態が思わぬ方向へ向かうこと、もう一つは、コンビが見せる6種類のダンス・ステップだろう。「ミュージカル」ではなく、「ダンス」のある芝居だ。それが単に奇を衒っただけのものではなく、日時を経るごとに見えるお互いの「人間」を丁寧に、かつ優しい眼差しで描いている作者の優しさに共感するのだ。

 人は誰しもが順風で生きているわけではない。人生を左右するような大きな出来事だけではなく、一日、24時間の中でも日によっては大きな波が襲い、喜びや哀しみに身を揉むことがある。しかし、その積み重ねが「生きる」ことなのだ、と作者は語っているような気がする。特別に劇的な境遇にあるわけではなくとも、日々を生き、年を重ねるのは容易なことではない。その中で、大小幾つもの事件が起きる。そうしたことに「逃げる」のか「立ち向かう」のか。意味もなく立ち向かっても仕方がない場合もあり、自分の力だけではどうにもならないことも多い。

 そうした「人生」に僅かな楽しみ、ささやかな光があれば、日々の充実感は変わって来る。当たり前のように数か月先の話をしている我々に、いつも通りの明日が訪れる保証はどこにもない。また、失敗を取り返すために時間を巻き戻すこともできない。だからこそ、頑張っても100年という人生の一日が大切で、愛おしく思えるのだ。30年ほど前の「バブル期」には、「普通でいること」が何かみみっちいことのように勘違いさせられるほどの狂奔が襲った。しかし、あの騒ぎを経て、「当たり前の暮らし」や「昨日に変わらぬ日々」が、どれほどに恵まれたものであるか、我々はもう一度考えなくてはならないのかもしれない。

 芝居の面白いところは、舞台で演じられている光景をきっかけに、発想を広げて多くのことを考える機会を得られることだ。黙っていても膨大な情報が押し寄せる現代、いろいろなことを沈思黙考する機会を与えてくれる舞台は「大人の楽しみ」の一つでもある。芝居には、いくつもの「人生」がある。そこを楽しめるのが舞台なのだ。