『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)、『義経千本櫻』(よしつねせんぼんざくら)と共に歌舞伎の「三大名作」と呼ばれ、作者も同じ三人のトリオだ。この作品は、タイトルからもわかるように、学問の神様として知られる菅原道真が主人公で、政敵・藤原時平(ふじわらのときひら)の策略で皇位を狙っているとの濡れ衣を着せられ、九州・大宰府へ配流となる。そのストーリーを根幹に据え、当時、大坂で実際に生まれた「三つ子」のエピソードを交えるなどしたものだ。全編を通して上演されることは滅多になく、昭和56年、国立劇場開場15周年記念の折に上演されて以来、通し上演を観た記憶はない。

 その代わりに、この演目の中には『寺子屋』、『車引』(くるまびき)など頻繁に上演される場面がある。前者は忠義の想いから、主君・菅丞相(かん・しょうじょう=菅原道真のこと)の子息・菅秀才の命を救うために、自らの子を犠牲にする松王丸夫婦の苦衷を描いた作品で、筋立てが分かりやすく、主な登場人物それぞれに見せ場がある。『車引』は荒事で、三つ子の兄弟、梅王丸、松王丸、桜丸の立場の違いからの争いを見せる場面だ。元気な若手がおおらかな芝居を見せる折などにも上演されている。

 最近あまり上演されなくなった『賀の祝』という場面がある。三つ子の親・白太夫(しらたゆう)の七十歳の祝いに、三人兄弟がそれぞれの妻を伴い、これから祝いの宴が始まろうという中で、菅丞相が配流される原因となった斎世親王(ときよしんのう)と菅丞相の娘・苅屋姫の恋の仲立ちをしてしまったことを悔いて、桜丸が切腹する。ここでは、父親の白太夫が大きな役割を果たすため、老け役が少ない今、上演しにくいのだろうか。

 もう一つ、大宰府へ流される前に、船の出帆を待っている間にできる不思議な出来事や、流される菅丞相と、その原因を作った娘・苅屋姫の別れを描いた『道明寺』。これは、一幕で二時間かかる大作である上に、舞台上での動きも少なく、いわゆる「肚」(はら。人物の心理描写)で見せる演技を要求されるため、なかなか上演の機会がない。現在では片岡仁左衛門が『道明寺』とその前の『筆法伝授』の菅丞相を演じているが、そう頻繁に上演する性質の場面でもない。

 この作品では「三組の親子の別れ」が描かれている、と言われている。『寺子屋』での松王丸と息子・小太郎の別れ、『賀の祝』での白太夫と桜丸の別れ。これは死に別れだ。『道明寺』の菅丞相と苅屋姫の別れは生き別れだが、この時代、大坂と九州では、現実的にはもう会うことは叶わない一生の別れである。それらを巧みな筆さばきで描いているのも魅力だが、最後までを通して観ると、もう一つの側面が見えて来る。

 無実の罪、濡れ衣で大宰府へ流された菅原道真は、史実でも実際に大宰府で生涯を閉じ、その墓所の上には「太宰府天満宮」が建立されている。この作品の後半『天拝山』(てんぱいざん)では、雷神となり、自分を陥れた政敵たちに対する怒りを爆発させる。本来は道真の死とは無縁だろうが、道真の死後、京都で起きた天変地異は「道真の祟り」だと言われた。

 「学問の神様」として祀られている菅原道真は非業と失意の中で死を遂げた。その霊に対する「鎮魂」の意図が込められているのが、この『菅原伝授手習鑑』なのだ。