志の輔らくご 2015
2015.01.27 パルコ劇場

 立川志の輔がパルコ劇場で一ヶ月の独演会を初めて今年で10年目だと言う。「継続は力なり」とは言うが、一ヶ月同じ場所で、前座も使わずにたった一人での落語会を続けるのは並大抵ではない。

この一ヶ月公演の前に、一週間、十日などの公演を9年続け、その間、ただの一度も休演をしたことがない、と軽く言ってのけたが、これも、とてつもなく大変なことである。今、最もチケットが取りにくい噺家と言われ、日本全国は言うに及ばず、外国での独演会もこなす志の輔の高座は、一言で言えば「いかに観客に楽しんでもらうか」のひとことに尽きる。

 今年は、古典を真ん中に据え、前後にオリジナルを挟んで全三席、休憩を挟んで約三時間の公演になった。ここでは演目を書くことはしないが、オリジナルの二席はいずれも新作である。志の輔が自らも語るごとく、ずいぶん多くの新作を高座で語り下ろして来た。『みどりの窓口』『おどるファックス』のように、新作として完全に定着したものや、『歓喜の歌』のように姿を変えて映画化されたものもある。また、本人の弁によれば、二度と高座には掛けたくない、という出来の噺もあったようだ。

 志の輔がこれだけのハードスケジュールの中で、コンスタントにオリジナルの新作を生み続けるのは、尋常な技ではないことは確かだ。もっとも、この一ヶ月のパルコ劇場公演があることで、志の輔の新作への意欲が続き、また、実際に話しながら観客の反応を見て、噺を練り上げる機会にもなるのだろう。こうした、「荒行」とも言える方法で、新作を毎年自分の物にしてきたのだ。

 志の輔の師匠・立川談志は、好き嫌いの差があろうが、平成の名人であったことは間違いない。九番目の弟子である志の輔も、平成の名人の一人である。ただ、二人の師弟には決定的な違いがある。師匠の談志は、「客を選ぶ」名人であった。「談志の噺が分かる奴」「談志でなくてはダメなファン」を抱えており、それが談志の噺家としてのプライドでもあった。志の輔は、正反対に「客を選ばない」、言ってしまえば「通」を必要としない噺家である。したり顔で「あの噺のあそこがどうの」という批評よりも、初めて、あるいは数回目に落語を聴く人々に、「落語とはこんなに面白いものなんです」という一言を、手を変え品を変え伝えようとしているように見える。志の輔の噺を聴くファンには、圓生も志ん生も志ん朝も必要ではなく、「今」が必要なのだ。

 これは優劣を付けるべきものではなく、噺家としての「たち」である。恐らく、志の輔にとって、眼の前に立ちはだかっていた巨大な壁である師匠の談志と自分なりに闘う方策として考え抜いた物が、今、演じている噺の方向性を創り出したのだろう。恐ろしいほどの芸を持った師匠と対峙し、逃げるわけではなく自分の道を確立し、多くのファンに認められた志の輔は、そういう点で平成の名人の名に値するだろう。

 古典落語の中に、「江戸の風」が吹いていたのと同様に、志の輔らくごの中には「平成の風」が吹いているからだ。