「関西・歌舞伎を愛する会 第三十一回」と銘打たれた毎夏恒例の大阪での夏芝居。今年は、片岡仁左衛門、中村鴈治郎、中村扇雀、片岡孝太郎、片岡千之助の関西勢、松本幸四郎、尾上菊之助、中村隼人、市川染五郎、坂東彌十郎などの東京勢と豪華な顔ぶれだ。現在の歌舞伎では、上方・江戸と俳優を分けることに意味はなくなりつつある。しかし、この会が始まる更に以前は、「東西合同」というほどに、関西と関東の歌舞伎には色合いや匂いに違いがあった。それからの歳月の中で、歌舞伎俳優のほとんどが拠点を東京に移している現在、演目、俳優の区別なく上演されてはいる。何よりも、満員に近い道頓堀・松竹座の活気を見るのは嬉しいもので、かつての中座などを想い出す。

 

 夜の部は、仁左衛門が関西では20年ぶりとなる『俊寛』。人気演目の一つで、多くの俳優が手掛けており、今までに八代目幸四郎、十七世中村勘三郎、中村翫右衛門、三世實川延若、二世中村吉右衛門、五世中村富十郎、九代目松本幸四郎、中村梅之助(前進座)、十八世中村勘三郎、三代目市川猿之助、中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、当代仁左衛門をはじめ、20人近い俊寛を観たはずだが、仁左衛門の俊寛は、古典歌舞伎の様式とリアルな感情が巧みにミックスされた良い舞台だ。

 何よりも感心したのは、幕開きから暫くの間、共に流されてきた幸四郎の成経、嵐橘三郎の康頼、千之助の千鳥との会話の端々に、「都人」の面影が見えることだ。多くの場合、この演目を「鬼界が島に流されて以降の俊寛」のドラマとして観るが、それまでは都にいて、当時絶頂を極めていた平清盛と対峙し、その政権を覆す企てを立てるほどの知性や身分の人だったのだ。それが、科白のイントネーションや風姿、ふとした仕草から感じられ、島流しに遭う前の姿がイメージできるインテリジェンスがあり、それが、後半になり徐々にリアルになるのが面白い。

 具体的に言えば、赦免の船が来て、赦免状の中に自分だけの名がないことを知った時の、混乱を交えた「絶望」。この「絶望」を、仁左衛門は古典歌舞伎の様式の中で見せる。ドラマが進み、清盛の憎しみを自分に伝えた、意地の悪い役人の瀬尾に止めを刺し、島に一人残る決意をする。ここで第二の「絶望」が訪れる。この絶望には、リアルな孤独感が伴っている。島で共に過ごした仲間と、成経が島で契りを交わした娘・千鳥が乗った船が島を離れる。自分で納得した行為ではあっても、いざ一人残るとなれば、船を追い駆けたくなるのは人情で、声を限り「おーい」と叫ぶ。義太夫の「思い切っても凡夫心」の詞章が見事にその心象を語っている。やがて、船からの声も聞こえなくなり、船影も遠く見えなくなり、一人島に残る俊寛。

 しかし、幕切れ直前の仁左衛門の顔は哀しみと絶望ばかりに覆われてはいなかった。「解脱」とまでは言わないまでもそれに近いような静かな気持ちで、うっすらと微笑む。もちろん、何も嬉しいことなどあるわけはない。愛する妻は都で清盛の言いなりにならなかったために殺され、もう失う物もない一人の人間として、すべてを諦め、悟り切れたわけではないものの、その予感を感じさせるような表情だ。都への帰参が叶った「戦友」に、「元気でいてくれよ」という親心のような温かみがふっとよぎる。それには、もうどうにもならない「諦め」も含まれているのだろうが、この表情が絶妙だ。

 孝夫時代に、「劇団前進座」の創立50周年記念の歌舞伎座公演にゲスト出演した折に、前進座の創立者の一人、中村翫右衛門が今の仁左衛門と同じ79歳でこの『俊寛』を演じ、孝夫は丹左衛門を演じ、爽やかな風姿を見せた。翫右衛門の俊寛も、幕切れで笑いを見せる。しかし、仁左衛門のそれは翫右衛門の笑いとは明らかに意味が違う。

 何十年ぶりかで過去に演じた役を演じることの意味は、こうした「進化」にあるのだ。これは、仁左衛門一人、あるいは『俊寛』という演目に限った問題ではない。歌舞伎全体に共通して言えることだ。幸四郎の成経、菊之助の丹左衛門、共にそれぞれの役の性根を捕まえた芝居を見せ、行儀の良い芝居だ。坂東彌十郎の瀬尾、ところどころに人の好さが見え、意地の悪さに徹しきれない部分がある。千之助の千鳥は、動きにやや雑な部分が見えるのと、科白が若干不安定になる箇所がある。しかし、祖父の渾身の演技を間近で見ながら舞台を共にできるのは何よりの勉強だろう。これは、幸四郎と同じ舞台に出ている染五郎も同様だ。久しぶりに見応えのある、豪華な良い舞台を観た気分だ。

 二本目は、村上元三原作の『吉原狐』。粗筋を一言にするなら、花の吉原で起きる芸者とその父親を中心にした笑いありの人情噺、とでもいったところだろうか。芸者のおきちが中村米吉、父親の三五郎が幸四郎、やがて使い込みで落ちぶれる旗本が染五郎、お客の若旦那が隼人、三五郎の家の下働き、お杉が中村虎之介と、若手を中心にした芝居で、幸四郎、扇雀、孝太郎、鴈治郎が重石の役目を果たすような作品だ。二幕三場で一時間半、一場面が約30分と、新歌舞伎にありがちな場面転換が多い作品ではなく、じっくり芝居を観られるのが何よりだ。

 しかし、その分、若手の粗さが目立つ点もあるが、これは致し方のないことだろう。染五郎、米吉、隼人、虎之介など、この芝居の中心メンバーの世代に共通する部分で言えば、動きがスピーディなのはいいが、歌舞伎らしさが薄い、あるいは科白が現代語めいて聞こえる、ちょっとした仕草が雑に見えるなど、解決すべき課題は多い。エールを送る意味で言えば、これはどんなベテランも通った道であり、若い時期からの名優はいない。今回のように、鴈治郎、扇雀、孝太郎、幸四郎などの先輩たちに揉まれながら芝居を覚え、自分の芝居を創ってゆくのだ。歌舞伎が、観客と役者が共に熟成を楽しむ芝居だ、と言われる所以はこの辺りにあるのだろう。「鷹揚にご見物を」という立場ではないが、観ていてあそこはこうした方が…と思う点が目に付く一方、それぞれが自分の背丈に見合った頑張りを見せていると、微笑ましく思う部分もある。それが、どこまで伸ばせ、先輩たちに近付けるかは、各人の覚悟の問題だろう。

 観客もそれを承知の上で楽しんでいるし、内容にしても芝居通が「先代の時は、あそこはああやっていたのに…」という類の芝居ではない。暑さが増す中で、一晩笑い飛ばすには格好の芝居だ。

 一本目には円熟の本格的な作品を、二本目には気軽な笑いで楽しめる芝居をとの並べ方も悪くなく、上方の暑い夏には巧い狂言立てだ。これなら、満員の観客も満足だろう。