一つの劇団が歴史を紡いで行くのは大変なことだ。更に、その歴史の中で繰り返し上演のできる「財産演目」を持てる苦労を重ねるのはも一つ大変だが、幸福なことでもある。

 男性の俳優のみで構成されている劇団「スタジオライフ」。1985年以来、37年の歴史を重ねる中で、劇団創立10年の1995年に初演された『トーマの心臓』。漫画家の萩尾望都原作の同名作品を舞台化し、今回で10回目の上演となる立派な財産演目だ。ドイツの男子寄宿学校で亡くなった少年に瓜二つの少年が転向してくる。そこで揺れ動く少年たちの心を描いたものだ。

 「スタジオライフ」の特徴の一つでもあるが、作品によっては主要な役をダブル以上のキャストで演じることを、かなり前から続けている。本作も同様で、ベテラン勢が演じる「Legende」チームと、若手が中心になる「Cool」チームがある。私がこの作品を初めて観たのは2010年の7演目で、当時は今回のメンバーの中では「Legende」の顔ぶれが劇団を大いに盛り上げていた頃だ。それから12年、後進が育つと同時に、当時のメンバーもそれなりに歳月を重ねた。

 確かに、高校生の役をその年齢の倍以上の実年齢で瑞々しく演じるのは至難の技だ。しかし、歌舞伎が年輪を重ねて芸の力で若者を演じても違和感を与えないと全く同様、とは言わないまでも、観客席と舞台の上のメンバーたちが共に過ごした歳月を懐かしく、あるいは微笑ましく思い出せるような側面もある。学校の階段を勢い良く駆け上がる姿は、努力は感じられても、残念ながらやはり高校生には見えず、身体のキレが良いとは言えない。しかし、懸命に自分の若かりし頃の当たり役に挑む姿は微笑ましく、適切な例えではないかもしれないが、プロ野球のOB戦を観ているような楽しさがある。この原稿を書いている私にしても、人様の事を言えた義理ではないのだ。

 こうした見方は「王道」ではないだろう。ただ、確実に言えるのは、外見の問題はさておき、多感な高校生の心が複雑に揺れ動く感情の深みの表現が増したのは事実だ。若者だからと言って単純な思考のみで生きているわけではない。ずいぶん前に大人になってしまった我々には理解できない、あるいは忘れ去った細かな感情の襞がある。その微妙な加減は、これだけの年数を経たからこそ出せる味わいでもあるのだ。

 今回の上演に際し、劇団の主宰、座付きの作家・演出家で、劇団唯一の女性である倉田淳が、演出を変えた。「コロナ禍」の影響を受け、登場人物を減らし、上演時間を若干短くしたのだ。すでに完成され、評価を得ている作品をカットするのは並大抵のことではない。それでも作品の味わいを損なうことがなかったのは、劇団設立メンバーの一人として俳優陣の個性を知り尽くし、配役の妙でそれを発揮した名伯楽の采配である。

 「コロナ禍」も落ち着きを見せてはいるが、まだ「収束」、そしてその出口は見えないままだ。一時は「不要不急」とも言われた演劇や音楽などのライブは大きなダメージを受け、回復までには時間が掛かるのは自明の理だ。しかし、明るいニュースが少ない時代だからこそ、こうして頑張っている人々にも声援が必要なのではなかろうか。