芭蕉に「おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな」という有名な句がある。加藤健一が長年演じ続けた一人芝居『審判』につぐこの一人芝居を観て、ふとこの句を想いだした。

 ロンドンの劇作家、ジャスティン・ブッチャーが描いたこの作品、1999年12月31日のミレニアム・イブに、1899年12月31日生まれ、つまりその日に100歳を迎える道化師、スカラムーシュが過去を語る内容だ。『審判』が2時間40分というギネス物の一人芝居で、この作品は1時間40分。1時間短いと言えばそれまでだが、たった一人で喋りながら、劇場中の神経を自分だけに集中させるのは至難の技だ。

 サーカス小屋の楽屋と思しき場所で、100歳を迎える道化師・スカラムーシュの独白が始まる。母親はジプシーの女性で、身体を売ることを生業にしていたが、客とのトラブルでスカラムーシュが少年の時に命を落とし、以降、少年の流浪の人生が始まる。母の商売が商売だけに、本当の父親が誰なのかは不明だ。ただ、生まれ落ちた時、その顔色が「まるで牡蠣のように真っ白だった」ことから、少年は、父親は「白人」に違いないと思い込み、まだ見ぬ理想の父の姿を追い求める。飛び抜けるような白さを誇る顔色は注目の的になるものの、奴隷に売られ、蛇使いの芸人に買われと、流浪の日々が続く。その中で、耐えられぬ想いに流す涙や海の波しぶきの汐が、少年の顔の上に更に白い仮面となって貼り付き歳月を重ねてゆく。その結果、50歳を迎えるまでに7つの白い仮面が彼の顔を覆う。この仮面は、彼の哀しみや苦しみ、絶望の記録でもある。

 72歳の加藤は、少年時代から100歳の現在までを演じることになる。100歳の現在を、殊更老人めいて演じないのが、かえって自然に見えるのは不思議なものだ。その一方で、少年時代に戻ることもあり、その瞬間にははっきりと「子供」に見える。こうした演技を「年功」と言うのだろう。地声は低めの俳優だが、それを高低使い分け、「でんぐり返し」まで見せる身体のしなやかな動きで、自在に演じて見せる。一人芝居ではあるものの、時に蛇使いの親方にも、彼を気に入ってくれた殿下にも、イギリスの入管の人にもなる。その間も台詞を喋りながらだが、その変わり目が鮮やかだ。

 生来の真っ白な顔の上に、奴隷となって被る新たな仮面、砂漠で結婚したもののたった一夜で破綻した折に付けた仮面…。現在でも「仮面夫婦」などのようにこの言葉が使われるケースがあるが、道化師・スカラムーシュの場合は、仮面の数が増えるごとに、徐々に本来の自分の姿から掛け離れ、その仮面を容易にはずすことができない苦しみが付きまとう。50歳になって、ようやく自身の父がいるであろうイギリスへたどり着く。まさに、右も左も分からない状況で、物乞いに気前よくお金を渡し、そこでみんなと酒を酌み交わしながら、半生を語り、初めて「道化師」として、本来の白い顔を作るべき「ドーラン」を塗って、七つ目の仮面を被ることになる。

 この芝居の妙味、とも言えるのは、道化師になって以降、彼の人生の半分に当たる50年については一切語ることなく、芝居の幕を降ろすことだ。恐らく、道化師としての50年の半生は、前半生に匹敵するかそれ以上の事件や哀しみ、喜びなどのさまざまな経験をしたはずだ。なぜ、作者は彼に何も語らせなかったのだろうか。現に、舞台には間もなく100歳になろうという道化師・スカラムーシュがいるにもかかわらず、だ。「後の50年に何があったのかは観客の想像に委ねます」、「『道化師』の本分は、言葉を発することなく表情や動きで観衆を笑わせることであり、言葉はいらないのです」など、推測のしようはいくらもある。どう考えても間違いではなく、観客それぞれの「正解」があり、それで良いのだ。ただ、「道化師」の白い仮面の片方の眼尻には、人造ダイヤのように透明に輝く涙が光っている。