歌舞伎座の師走公演の昼の部、片岡愛之助が主役で『義賢最期』を演じている。言うまでもなく、テレビドラマで大ブレイクして以降、息つく暇もないほどの活躍ぶりを見せている愛之助だが、実は歌舞伎座で自分が主役として出し物を演じるのはこれが初めてのことになる。愛之助がテレビなどの子役を経て歌舞伎の世界の住人となったのは、昭和56年12月の京都・南座の恒例顔見世興行のことだ。この時、昭和の名優・十三世片岡仁左衛門の部屋子(普通の弟子とは違い、師匠自らが手元に置いて育てる弟子を指すケースが多い)として、片岡千代丸の名で初舞台を踏んだ。

 偶然だが、私はこの舞台を観ており、十三世仁左衛門から「今月からうちへ来た千代丸や。よろしくね」と言われたことを鮮明に覚えている。今から33年前の話、まだ九つか十の、子役だった。それ以降、愛之助の全ての舞台を観て来たわけではないが、当然の事ながら歌舞伎役者としての彼の熱意と努力は何度も眼にして来た。普通の家庭から歌舞伎の世界に入った子役が、「歌舞伎座」で主役を勤めるまでに、実に33年間の努力と勉強を重ねて来たのだ。大学を卒業して同じ会社に勤めていれば、人によっては部長や役員になろうかという年数である。この年月をひたすらに修行し続けた愛之助の努力を見ると、私には、師匠である十三世仁左衛門の姿がダブってならない。

 さて、『義賢最期』である。この芝居は、元は叔父に当たる現・仁左衛門が当たり役として度々演じて来たが、愛之助も浅草公会堂で演じている。
「平家にあらずんば人にあらず」と言われた、平家全盛の時代に、源氏の木曽義賢は、病で静養していたが、傍で仕える奴・折平が、実は源氏の武将多田蔵人行綱だと見抜いていた。源氏再興の機会を目指す自らの本心を明かしたが、そこへ清盛からの使者が訪れ、義賢に平家への忠誠を誓わせようとする。その仕打ちに耐えかねた義賢は使者を斬り捨てるが、孤立無援に近い闘いに勝てるはずもなく、勇壮に死んでゆく。

いわば、「武士のプライド」を、「死に際の芸」で見せた作品と言えよう。

 幕切れ近く、義賢が見せる「戸板倒し」「仏倒し」など、激しい立廻りが最大の見せ場だが、以前演じた時よりも迫力を増した。「戸板倒し」では、一瞬、観客席が気を呑まれた「間」があり、大きな拍手が湧いた。この場面一つをとっても、かなりの体力が必要な役で、今は愛之助の他に演じる役者はいない。見ごたえのある一幕物として、充分な厚みも出て来た。これからは、「愛之助の『義賢最期』」として、さらに磨きをかける価値のある、記念碑的な作品であろう。

 歌舞伎座での初主演を飾るには相応しい渾身の演技であったと同時に、一般の家庭から歌舞伎の世界に入り、門閥の壁を乗り越えて現在の地点に立った愛之助の歌舞伎への愛情に、拍手を贈りたい。