今月の歌舞伎座は、来月二十七回忌を迎える十三世片岡仁左衛門の三人の子息、五代目片岡我當、二代目片岡秀太郎、当代の片岡仁左衛門がそれぞれに自分の演目を出し、興行全体を銘打っているわけではないが、故人に由縁の深い演目で偲んでいる。

 昼の部は、十三世が晩年に演じて「神品」との評価を受け、当代も今回で6回目となる『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の『道明寺(どうみょうじ)』を中心とした前半の通し。仁左衛門は主人公の菅丞相(かんしょうじょう)を演じる。史実の菅原道真公をモデルにした役は、歌舞伎の立役の中でも至難と言われるものの一つで、極端に動きが少ない中で、政敵に陥れられ、遥か大宰府へ流罪となる身の複雑な感情と、それでいて凛然とした品格を表現しなければならない。

 最初の『加茂堤』は、菅丞相の養女で仁左衛門の孫・片岡千之助が演じる苅屋姫(かりやひめ)と中村米吉の斎世親王(ときよしんのう)の恋を、中村勘九郎の桜丸、片岡孝太郎(たかたろう)の八重が仲立ちをする場面。のどかな堤で、若い男女のラブシーンを観ていると、のちに訪れる悲劇などには想いもよらない伸びやかさだ。  

 続いて『筆法伝授』(ひっぽうでんじゅ)。丞相の書の道での有望な弟子であった中村梅玉(なかむらばいぎょく)の武部源蔵、中村時蔵(ときぞう)の戸浪(となみ)夫婦は、二人の色恋で丞相から破門されて、貧しい暮らしを送っているが、丞相への想いは変わらない。しかし、「書の道は別」と、同じ弟子の希世(まれよ)と「筆法」を競い、源蔵が書の奥義を伝授される。そこへ、内裏からの参内を命ぜられる菅丞相…。

 最後が昼の部の眼目となる『道明寺』。芝居では描かれていないが、丞相の政敵・藤原時平(ふじわらのしへい)の計略で、娘と親王の恋を「王位略奪の企て」とすり替えられ、丞相は遥か九州・大宰府へ流罪となった。出立の準備のため、河内国(かわちのくに)の伯母・覚寿(かくじゅ)の館へ立ち寄る丞相。伯母は、原因となった事件を起こした実の娘・苅屋姫を厳しく折檻している。そうせねば、甥である丞相への義理が立たないからだ。しかも、覚寿の娘、立田の前は、夫の宿禰太郎(すくねたろう)とその父・土師兵衛(はじのひょうえ)が丞相を横取りし、暗殺しようとする悪だくみのために殺されてしまう。出立の時刻が来た。永の別れにたった一目、娘と会ってやってくれとの覚寿の頼みを断り、静々と立ち去ろうとする丞相…。

 ざっと粗筋を説明するだけでも大変だが、この『道明寺』だけで約2時間近くを要する。しかも、あまり派手な動きのない場面で、義太夫にいい節が付いてはいるものの、演者によっては極端に退屈な物になるばかりか、歌舞伎を見慣れぬ人が最初にこの演目にぶつかったら、歌舞伎を嫌いになる可能性もあるぐらいだ。

 しかし、仁左衛門の菅丞相、坂東玉三郎の覚寿、立田の前の孝太郎をはじめ、芝居の振りを大きくし、分かりやすく丁寧に演じているため、物語の内容や字登場人物の複雑な心理などが理解しやすい。その一方で、腹に納めておくべき感情はそのままにし、近年の『道明寺』ではお手本とも言うべき舞台になった。回を重ね、父の二十七回忌ということも加わり、面差しも先代に似てきたようだ。特に幕切れの苅屋姫との別れを惜しむ場面、義太夫では「丞相名残り」と言われる部分の、言葉にはせぬ豊かな情感、最後の静かな、かつ一瞬激しさを見せる発露が素晴らしくいい。娘の罪を赦してやりたいとの想いと、自分を「流罪」に遭わせた娘を許すわけには行かない、との葛藤、そして娘の実の母である伯母への義理。そうした感情が錯綜した末の幕切れには、台詞はないが、多くのことが語られている。

 対する玉三郎の覚寿が良く、堂々と仁左衛門と対峙する。六十を過ぎた未亡人の老け役で、総白髪の歌舞伎では「白」(はく)と呼ばれる鬘の老女役だが、凛とした風情と、実の娘を杖で折檻する手強さ、そして甥を想う気持ちと最後まで捨てきれない母心。これらを節目で分かりやすく演じ、丞相を見舞った悲劇の主な人物としての役割を充分に見せた。

 昭和50年代のはじめに「孝・玉コンビ」として絶大な人気を博した、当時片岡孝夫の現・仁左衛門と玉三郎が、40年を超える歳月を経て生み出した舞台の一つの到達点だと言えよう。父の十三世が「昭和史に残る舞台」と評されたのは、昭和56年11月のことだ。それから39年を経て、当代が追善の演目で「十五代目仁左衛門の菅丞相」を見せたことは、何よりも泉下の十三世が一番喜んでいることだろう。