第十二夜【「忘れ得ぬ人々」を語る】(2020.08.17)

中村 今日は、それぞれが「批評家」、「俳優」として仕事をしている中で、「忘れ得ぬ人々」の事を話しましょう。立場、職分、年数も違うから、それぞれ意味合いは違うかもしれないけれど。君の「忘れ得ぬ人」は、やはり同じ職業の「俳優」になるのかな。

佐藤 はい。僕が絶対に忘れられないのは松方弘樹さんですね。芝居を始めて1年ぐらいの19歳の時、『友情』という舞台のオーディションで採用してもらい、その時の中学校の先生役が松方さんだったんです。もちろん名前は知っていましたが、何となく「怖い人なんだろうなぁ」というイメージでした。

 でも、稽古場でお目にかかった時に、物凄いオーラと人間的な厚みがありながら、とても気さくで、それに新鮮なショックを受けました。

 2014年から15年に掛けて、半年ぐらいの全国巡演をご一緒させていただきました。「豪快」な一面もお持ちの一方でとても繊細で、ナイーブなんです。芝居をしていても、細かな動きの一つ一つを観ていてくださっていながら、直接のダメ出しはないんです。でも、芝居の中で「心」で動いてくださって、僕のような駆け出しの芝居をどのようにでも受け止めてくださいました。

 芝居の中で、主人公の女の子が亡くなった知らせを受けた僕の役が、精神的にテンパっている場面で、そこで先生役の松方さんが肩を握ってくれるんですが、その握り方や時間でわかるんです。言葉はほとんど交わしませんが、僕の気持ちが役に近付いている時は、暗転になって数秒間、そのまま肩を握っていてくれましたが、出来ていない時はお客さんからは同じように見えても肩に手を乗せるだけ、ぐらいの差がありました。未熟な僕の芝居をちゃんと感じてくださって、キチンと反応してくださるんです。もちろん、僕一人をご覧になっていたわけではなく、芝居全体をご覧になった上なんですが。

 出番じゃない時も、袖で芝居を観ていて、僕が失敗すると、「あそこはああだったぞ」と注意してくださいました。

中村 普通は、公演が終わるとバラバラになってしまって、個人的に接触をすることはないわけでしょう。その公演だけが松方さんとの想い出なのかな?

佐藤 いいえ。『友情』では母親役の池上季実子さんにもとても可愛がっていただいて、「お母ちゃん」と呼ばせていただいていました。ある時、「立ち回りに興味はないの? 男の子なんだから、覚えておいた方がいいよ」ってアドバイスをくださったんです。僕は時代劇が大好きで憧れていたので、「凄く興味があります! でも、どなたに伺ったらいいのかが分からなくて…」と答えたら、「立ち回りなら松方のお兄ちゃんがいるじゃないの。お兄ちゃんに聞いてみたら?」って、僕の背中を押してくださったんです。

中村 いい出会いだね。

佐藤 はい。ただ、僕みたいなペーペーが、いきなり松方さんの楽屋へ、っていうのはとんでもないことで、緊張しちゃうんですよ。でも、せっかく池上さんがおっしゃってくださったんで、思いっきり頑張って松方さんの楽屋へ伺って、「実は、こういう理由で、立ち回りを習いたいんですけれど、どうしたらいいのか分からないので…」って言ったら、「そうか」っておっしゃって。

 「立ち回りの勉強がしたいんだったら、まずは着物を着られるようにならないと」って、いきなり楽屋で上半身裸になって、ご自身で着方を見せてくださったんです。それから、僕に着せて、「ここの骨に帯の下を合わせるんだぞ」とか具体的なことを、新人同様の僕に教えてくださいました。

 それまでは松方さんの前にいる緊張感でガチガチで、会話の内容もあまり覚えていなかったんですが、「実演」が始まってからは「これからの時間は一瞬も忘れちゃダメだ」と僕もスイッチが入って、その時に教えていただいたことは全部覚えています。

中村 目に見えるようだね。恐らく、松方さんは若い俳優が勇気を出して自分のところに聞きに来たことが嬉しかったんでしょう。

佐藤 これがきっかけで、翌年の全国巡演の『遠山の金さん』で付き人から勉強しないか、とお話をいただいて、「やります!」って申し上げて。でも、病気になられて、叶いませんでした。

中村 それは残念だった。

佐藤 はい。松方さんからはそれ以上のことを教えていただくことはできませんでしたが、今思うと、『友情』を通じて舞台への向き合い方、立ち回りに「残心」っていう言葉があって、切り終えた後も心を残すという意味ですが、それにも通じるような考え方を教えてくださったように思います。これは、どんな芝居、映像でも同じです。今、そういうことがようやくわかって来ても、その話をご本人とできないのが凄く残念です。

中村 池上さんはどういうことを?

佐藤 「君は野生的だよね」って言われたことがありました。それは、僕がその瞬間に感じた本能や直感で芝居をするから、飛んでくる台詞や感情が一定ではないからなんです。でも、その表現は、池上さんの優しさで、舞台でいつも同じ芝居をすることがいかに大変かということを教えてくださったように思います。

 キチンとした芝居ができず、その瞬間の感情だけで芝居をしてしまって、どこへ飛ぶか分からないボールを全部拾ってくださって、無言で守備範囲の広さや幅を見せてくださいました。役者は、相手からどんな球が飛んで来ても、拾えるようじゃなきゃダメなのよ、ということなのだと思います。それも、あの時には気付かなかったことですが。

中村 そういう事は多いものだね。僕なんか、今でもそうだよ。

佐藤 先生はどうなんですか?

中村 僕は批評家だけれど、多くの役者に育ててもらったという誇りや嬉しさがあるかな。その方々の名前を挙げたらきりがないけれど、突き詰めて言うと「生き方」だと思う。自分の芝居に対する考えを言葉で教えてくださった方も、何もおっしゃらずに「姿勢」で示してくださった方、いろいろな方々に教えていただいたね。

佐藤 その中で特に印象的な方はいらっしゃいますか?

中村 難しい質問だねぇ…。一人だけ例を挙げるなら、杉村春子さんかなぁ…。子供の頃から約25年間、東京での舞台は全部観ているね。学生時代にアルバイトをしていた三越劇場で、当時毎年8月が文学座の公演でね。アルバイトの合間を縫って、いろいろな事を伺って。古い舞台の話をすると「いやぁね、あなた、それも観てるの? 一体、いくつなの?」って。その時に、「先生、子供だっていい舞台は分かるんですよ」って答えたけれど、生意気な大学生だね(笑)。

佐藤 なぜ、杉村春子さんを今お話になろうと思ったんですか?

中村 …病気で倒れて70年の女優生活で初めて休演をし、そのまま亡くなったんだ。訃報が入って、お通夜、告別式が文学座のアトリエで催されると分かって。お通夜の日に準備をして、出かけようとしても家を出ることができないんだ。散々グズグズして「明日の告別式に…」と。ところが、翌日も同じで、結局お別れに行けなかった。今思えば、お通夜や告別式へ出掛けると、「亡くなった」事実を認めなくてはならず、それが堪らなかったんだろうね。もう仕方がないけれど、あの時にキチンとお別れをしておくべきだったのかな、とも思うし。これは答えの出ない問題だね。

 君は他には?

佐藤 今ご活躍の方なら、松本白鸚(まつもと・はくおう)さんですね。去年の10月に帝国劇場で観た『ラ・マンチャの男』。これだけでも、話し始めると長くなりますけど、今までに観た中で、いろいろな意味で最も大きなショックと感動を受けた芝居でした。白鸚さんの役者としての凄さ、人間の深みや厚み、すべてが一体化した結果なんだろうな、って、すごく生意気ですけど。涙が止まらなくて、泣きたいわけではないのに、自然に涙が溢れる芝居なんて、初めての経験でした。

中村 確かに、あれは素晴らしかった。あの作品は40年観ているけれど、今までの中で最高の舞台だったと僕も思っている。これは、機会があれば、きちんと話したいね。

 読者の皆さんに意外という点では、先日93歳で亡くなった宮城まり子さんも忘れ難いね。肢体不自由児施設「ねむの木学園」の園長として有名だったけれど、たぐいまれなコメディエンヌだったと思う。実質的に女優として最後に一本演じた作品がフランスのミュージカル『イルマ・ラ・ドゥース』という娼婦の話で、新橋のヤクルト・ホールで観たけれど、素晴らしい女優だと思ったなぁ。

 こうして考えると、「忘れ得ぬ人々」に共通しているのは、「自分に厳しい」「芸に謙虚」という点が共通しているような気がする。女優の淡島千景さん、森光子さん、歌舞伎の十三世片岡仁左衛門さん、前進座の五世河原崎国太郎さん…。でも、今、こんなことを喋っている自分が芝居にどこまで謙虚で真摯に向き合えるかを問われているとも思う。ある意味では、僕の芝居の勉強の基礎を造ってくださった「ご先祖様」のような存在だね。ちょうど「旧盆」だからそんなことを想うのかな。でも、これは嘘でも冗談でもない感覚だよ。

佐藤 先生と僕では、経験年数が違いますから。でも、それぞれに「忘れられない方」っているんですよね。

中村 時に目標になり、時に懐かしみ、という人々を持てるのは幸せだね。松方さんに出会った時の感激や感動を忘れずに、「いい役者」になってください。では、今日はここでおしまいにしましょう。

(了)