第十三夜【『戦争と演劇』について】(2020.08.24)

中村 8月の後半になってしまいましたが、8月は、日本には忘れることのできない「戦争」に関する出来事が多い日です。折しも今年は「戦後75年」。「コロナ禍」がなければ、戦争をテーマにした舞台も数多く上演されていたでしょう。しかし、今はこのような状況なので。

 我々は「戦後世代」で、戦争を知らないのは当然ですが、見聞きした範囲や舞台などを通して「戦争」について想いをいたさなくてはならないのではないか、と。佐藤君は、何年生まれ?

佐藤 1995年です。

中村 終戦が1945年だから、戦後50年目の生まれなんだね。

佐藤 先生は何年ですか?

中村 僕は1962年。戦後、17年だね。33年の差があるんだ(笑)。それはそれでショックだ。

佐藤 僕には、「戦争」は祖父母の世代の出来事になってしまいました。

中村 そうだろうね。僕は、中野で生まれ育ったから、新宿や池袋の繁華街が割に近くてね。時折、戦争の「疵」というのかな、そんな光景を見掛けることがあったよ。新宿の西口と東口をつないでいる短い「トンネル」があるよね。その入り口に、戦争で疵を負い、義手や義足で働くことができなくなった「傷痍軍人」が、白い服で座っているのを何度も見たことがある。こういう言い方は失礼だけれど、子供で細かいことは知らなかったから、ただ「怖い」という印象だった。

佐藤 そうなんですか。

中村 その程度の記憶だから、事実としての「戦争」を語る資格はないのかもしれない。ただ、舞台作品では多くの芝居がさまざまな形で「戦争」を取り上げているよね。何か印象に残っているものは?

佐藤 劇団民藝で上演した『泰山木(たいざんぼく)の木の下で』でしょうかね。

中村 では、読者の方に簡単に内容を説明してください。

佐藤 難しいですね…。小山祐士(こやま・ゆうしという劇作家の作品で、瀬戸内海が舞台なんです。神部(かんべ)ハナという、妊娠中絶をこっそりやっているお婆さんがいて、戦後の話なので、すでに「非合法」で刑事が取り調べに来るんです。でも、ハナお婆さんは、「善意でやっている」と、自分の罪を認めない。取り調べに来る刑事もいい人なんですが、原爆の後遺症に苦しむ子供を持っている背景があって。その中で、ハナお婆さんは法的な裁きを受けないうちに病気で亡くなるんです。派手な戦闘シーンがあるわけでもなく、むしろこのお婆さんが可愛らしくて微笑ましい場面があったりするんですが、心にじんわり染みる芝居でした。

中村 この芝居は、民藝の創立メンバーでもある北林谷栄(きたばやし・たにえ)さんが長い間演じていた民藝の財産演目で、それを今回、日色ともゑさんがハナ役を引き継いだんだね。

佐藤 そうです。僕は、北林さんの舞台は残念ながら映像でしか観たことがないんですが、こちらも素晴らしかったです! 大先輩の俳優さんにはとても失礼なんですが、お二人とも「可愛らしい」おばあちゃんなんですよね。法律的には「悪い」んでしょうけど、何だかハナさんを応援したくなっちゃうような。

中村 作者の温かい眼差しが感じられるね。

佐藤 そうなんです。他にも、戦争の傷跡に苦しむ人が出て来るんですが、その誰にも優しさがあるんです。

中村 戦後になっても「何も終わっていない」人々にスポットを当てているのがこの芝居の得難い特色だろうね。

佐藤 あと、これも生では観ていないんですが、文化座の『おりき』。これも凄い芝居だと思いました。八ヶ岳の山の中で、特に何か事件が起きるわけでもないのに、農婦の「おりき」というお婆さんの強さと優しさと、人には見せない苦しみや哀しみが一体になっていて。ビデオを見終わった後で、一人で号泣しました。

中村 鈴木光枝さんの「おりき」も確かに素晴らしかったね。何度も観て、長野県の山の中の体育館でのファイナル・ステージも観に行ったぐらいだった。

佐藤 海外の作品ですけれど、一人芝居の『審判』も凄いですよね。この間、来月これを上演する加藤義宗さんと、この「演劇夜話」で鼎談でお話を伺いましたが、2時間半にわたり、収容所での出来事を淡々と語るんですが、その内容が凄まじくて…。

中村 そうだね。

佐藤 僕たちは、こうして舞台を通してでも、戦争の「ごく一部」を知ることができるのは恵まれていると思います。

中村 そうだね。日本は幸いにも、昭和20年以降戦争はしていないけれど、地球上には今この瞬間も戦争、戦闘状態にある国や地域があるからね。先日、リベリアの戯曲を読んだけれど、現に紛争が行われている最中に書かれた「今の戦争」の芝居もあるからね。

佐藤 そうなんですか? 確かに、世界に目を向ければそういう事があってもおかしくはないですよね。でも、それはショックだな…。だって、そこで描かれている中には僕と同世代の人たちも多いわけじゃないですか。

中村 そうなるね。限界はあるのだろうけれど、「戦争」という事態を、何か遠い歴史上の出来事のような感覚だけで眺めていてはいけないのだ、と改めて感じたね。

佐藤 そうですね。どうしても、そういう感覚になってしまうんですが、確かに今、どこかで戦争が行われているわけですから。僕が考えられる範囲は狭いですけれど、「戦争」に対する感覚や想いを変えて、考え直したり、舞台や映像を観たりすることはできますよね。

中村 それは僕も同様だね。現に今も、アジアやアメリカの関係も非常に微妙だしね。経済的な部分では、すでに戦争に近い事件も起きているし。

佐藤 他人事ではない、ということですね。

中村 「忘れないから思い出さない」という言葉があってね。「思い出す」というのは、忘れていたことを自分の記憶から引っ張り出すのだ、と。でも、いつも考えていれば「忘れない」から「思い出す」必要はない。これは、もともとは男女の仲についての言葉でね、「戦争」についても8月になったから思い出そう、ということではいけないのかもしれない。

佐藤 僕たちは安全で平和な状況に置かれているのが当たり前ですから、そうなるんでしょうか。

中村 それもあるだろうけれど、最近の日本人があまり過去を顧みなくなったことも大きいのではないかな。我々の祖父母やその上の世代が体験してきた歴史や時代を、そのままリアルには無理でも、「追体験」することで何か発見できたり学べることは大きいと思う。

佐藤 そうですね。例えば、文庫本なんかだったら、手軽にいつでもそうしたものを先生の言う「追体験」で自分なりに理解ができますよね。

中村 あまり偉そうなことは言えないけれど、そうしなくては、という自戒を込めて、ね。

佐藤 わかりました。何だか、今回の「コロナ禍」もそうですけど、改めて「普通」とか「当たり前」がいかに貴重なことか、を考えさせられます。

中村 そうだね。日々を大事に、疎かにしないで生きたいと、これも自戒を込めて、今日はおしまいにしましょう。

(了)