この8月7日を以て、渋谷のパルコ劇場が建て替えのため、約3年間の閉館に入る。1973年に「西武劇場」として開場し、85年に「PARCO劇場」と改称、現在に至るまで渋谷の演劇シーンを創り出して来た劇場だ。同年には渋谷駅の東横百貨店の上にあった「東横ホール」が閉館し、89年には東急本店の横にある「シアターコクーン」が開場したが、458席という舞台と客席の程よい距離感と、独自の視点に立った芸能文化を発信する機能を持つ劇場としての役目は大きい。

 それまで渋谷で唯一の本格的な芝居ができる劇場だった「東横ホール」は、駅の上というアクセスの良さの代わりに、客席に座っていても下を走る地下鉄銀座線やJR山手線の音が響く劇場だった。また、取り上げる作品も、歌舞伎や前進座、文学座、新派などオーソドックスなものではあったが、若者のお洒落な街に変貌を遂げようとする時代のニーズには合わなくなって行った。

 その中で、「PARCO劇場」が渋谷発信の演劇を中心となったのだ。開場当初から、演劇専門ではなく、音楽をも視野に入れたプログラムの制作は新しく映った。加藤登紀子、五輪真弓、金子由香利、深緑夏代などのコンサートを経て、86年から始まった『美輪明宏コンサート<愛>』は、その後『美輪明宏音楽会<愛>』、『美輪明宏 ロマンティック音楽会』と名前を変え、場所も最近は池袋の東京芸術劇場へ場を改め、なお多くの聴衆を集めている。第何次になるか分からぬ美輪明宏のブームを創り出した『毛皮のマリー』、『近代能楽集』、『愛の讃歌』、『双頭の鷲』、『椿姫』などの舞台も、大きなムーブメントとなったことは見逃せない。

 開館後43年の歳月を経ていれば、耐震などの問題でビルそのものを建て替えるのは昨今やむを得ない話だが、500弱の程よい大きさの劇場が、一時的なケースを含め、東京から姿を消しつつあるのは大きな問題ではある。パルコ劇場が演劇界に刻んで来た功績はいくつもあるが、その最大のものは「新しい試みの連続」、そして「演劇とお洒落をくっつけたこと」だろう。特に後者は渋谷という若者が多い土地柄、開場当初からかなり意識が強かったような気がする。むろん、開場当時と今では40年以上の隔たりがあり、渋谷の街そのものの雰囲気やイメージも大きく変わった。しかし、演劇文化を発信することで渋谷の「お洒落感」を高めることに、パルコ劇場の演目が大きな貢献をしていた事実は大きい。

 手元のメモを見ると、私が初めてここで芝居を観たのは、西武劇場時代の1983年、美輪明宏の『毛皮のマリー』だ。以降、33年にわたって、すべてではないにせよ、かなりの作品をこの劇場で眼にして来た。そのすべてを書き切ることはできないが、印象に強く残っているものをいくつか拾ってその想い出としたい。

 「さて、何を…」といろいろ眺めてみると、印象に残っている舞台の多くは、今までの演劇界に対して「新たなる挑戦」を試みた舞台だ。83年にはゲイの人々の一夜を描いた『真夜中のパーティ』を細川俊之、宝田明、奥田暎二、村井国夫、篠田三郎らで初演している。今なら何でもない話で、もっと過激な描写を見せる舞台はあるが、、33年前にゲイの芝居を上演するのは相当に勇気を必要とする「挑戦」だったはずだ。しかし、これは見事に当たり、86年には『真夜中のパーティ』、『ベント』、『トーチソング・トリロジー』の三本を「ゲイ三部作」といった形で立て続けに上演する。中でも『真夜中のパーティ』は、PARCO劇場の財産演目として、その後も回数を重ね、若いキャストに引き継がれて行き、作品自体も、他の劇団や劇場で演じるようになる。日本の芝居の中で一つの扉を開ける役目を果たしたのだ。

 また、アメリカを代表する劇作家、ニール・サイモンの「青春三部作」と言われる『ブライトン・ビーチ回顧録』、『ビロクシー・ブルース』、『ブロードウェイ・バウンド』を85年から89年にかけて、旬のスターだった真田広之、天宮良を中心に上演した企画も面白かった。ニール・サイモンと言えば頭に浮かぶのはコメディ、というのが一般的なところを、作者の青春時代の回顧をもとにした作品は、サイモン作品の中では「一般受け」しにくい部分がある。それを、配役の新鮮さと三作を連続ではないがキチンと上演することで意味を持たせた。「他の劇場ではやらない企画や芝居が観られる」という感覚が私の中に定着したのはこの時期だったような気がする。

 今では多くの劇場で当たり前にのように行っている「朗読劇」にしても、仕掛けが凝っている。90年に役所広司と大竹しのぶの二人により初演された朗読劇『LOVE LETTERS』。幼馴染の男女が、大人になって再会し、その後の人生を淡々と読んでゆくもので、舞台に並んだ二脚の椅子に、男優と女優が座り、過剰な演技を廃して台本を読む。この男優と女優の組み合わせが千変万化に富んでおり、8月7日、劇場の最終公演日の舞台、渡辺謙と南果歩で実に467ステージ、26年に及ぶ公演である。この作品で一旦劇場に幕を降ろすのは、最もふさわしいような気がする。
一体、この公演にどれだけの女優と男優が顔を合わせたことだろうか。PARCO劇場が制作する新作の最後は蓬莱竜太の新作『母と惑星について、および自転する女たちの記録』が7月31日で幕を閉じたが、劇場としての最後の作品はやはり『LOVE LETTERS』ではないと、というほどに定着し、多くのファンを獲得した作品である。
 この芝居にしても、既存の朗読劇の枠を一歩はみ出し、回数を重ねる一方で同じ組み合わせもあるにせよ、基本的には公演ごとにキャストを変える、という挑戦である。それが見事に功を奏したことは言うまでもないだろう。

 また、96年に立川志の輔が始めた『志の輔らくご』という独演会も、通常の「独演会」のイメージを打破するもので、前座もゲストもいない、本当に志の輔一人での独演会だった。当初は3日間だったものが、好評を受けてだんだん期間が延長になり、2006年にはお正月ほぼ一ヵ月、しかも公演期間内に四つのプログラムで計12席を毎晩約3時間にわたって喋り続ける、という「暴挙」とも言える試みに出た。志の輔のチケットが「日本一取りにくい」と言われるようになったのは、、この大爆発以来だ。まくらでよく笑わせていたが、「こんなことをしなくても、武道館でやれば一日で終わりなんですけどね」という志の輔は、寄席ではないが独自の空気感を持つこの劇場を愛したからこそ、できた芸当だろう。

 古典芸能で言えば、同じ渋谷の「シアターコクーン」が古典を新感覚で見せる「コクーン歌舞伎」を上演すれば、PARCOでは人気作家・三谷幸喜の手により市川染五郎が『決闘!高田馬場』という新作を演じ、「パルコ歌舞伎」と名付けた。また、松本幸四郎が現代劇を上演するために旗揚げした「シアター・ナインス」の公演もここで行われた。

 尾籠な話で恐縮だが、一般的に、劇場の化粧室は圧倒的に女性用の数が多く、公演によってはそれでも足りない場合がある。しかし、PARCO劇場の公演では、男性用の化粧室に列ができる、という他の劇場では滅多にお目にかかれない光景に始終出くわした。これが、PARCO劇場が目指して来た仕事の結果の一つを現わすものではないだろうか。ふだんはあまり劇場へ行く習慣のない男性たちをも集めることを考える劇場としての企画や作品、それを開演前や休憩時間の化粧室が物語っているのは現実だ。

 想い出に残る作品を羅列していると終わりそうもない。他にも上川隆也・斎藤晴彦のコンビで回を重ねた『ウーマン・イン・ブラック』、阿部寛が舞台俳優として大きく開花した『熱海殺人事件~モンテカルロ・イリュージョン』、細川俊之・木の実ナナの小粋な大人の舞台『ショー・ガール』、続々と出て来る。劇場にはそれぞれ個性があり、多彩な色を持つ作品で文化を発信するのが大きな役割だ。こうしてその歴史をざっと振り返ってみただけでも、PARCO劇場が昭和の後期から果たして来た役割の大きさがわかる。

 新しく生まれる劇場は、どのような発想のもとに産声を上げるのだろうか。大きな寂しさの先に、期待がある。