一般的には、イギリスの中世の劇作家と言えば誰もが「シェイクスピア」の名を挙げる。間違いではないが、同時代の劇作家、ベン・ジョンソンもはずすことはできない作家だ。知名度の点でシェイクスピアよりも劣るために、日本ではあまり上演の機会がないが、人間の「狡猾な」本質を見事に炙り出した喜劇の名手とも言える。「演劇集団 円」では、1981年9月に、西新宿にあった「ステージ円」でベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ またの名を狐』という喜劇を日本で初演している。その時に、「こんなに面白い芝居があったのか」と感心し、事あるごとに円のスタッフに「ベン・ジョンソンの作品を…」と言って来た。今回、『錬金術師』が鈴木勝秀の上演台本と演出で新しい形で日の目を見たのは、何とも言えず嬉しいことだ。

ペストが流行るロンドン。逃げ出す金も余裕もない庶民たちの中で、屋敷の留守番役とうだつの上がらない詐欺師(うだつが上がっても困るが)が、主人不在の屋敷を舞台に、人の欲に付け込んだ怪しい仕事を始める。最後には、とうとう「錬金術」まで持ち出す次第だ。その被害者の中には、敬虔な信仰家までいる。貧苦と病気の恐怖に脅かされて生きている中、それでも欲の皮だけは見事に突っ張り、この騒ぎに乗じて一儲けしようという、人間の浅ましくも否定はできない根源的な本質をシニカルに描いた作品だ。鈴木勝秀は、この芝居の随所に「現代的感覚」を持ち込み、中世のロンドンであることをしばし観客に忘れさせる。極端に言えば、場所も時代も関係なく、登場人物がこの芝居の中で自分の欲のために生き生きと動いている姿を描きたかったのだろう。

留守番役の橋爪功と詐欺師の金田明夫のコンビが絶妙である。元来が、せこい人間や小狡い人間を演じさせたら今の演劇界では右に出る者がない、と言える橋爪功が、間もなく73歳になるとは思えない軽快な芝居を見せる。作品は違うが、33年前に素敵なショックを受けた『ヴォルポーネ』を彷彿とさせんばかりだ。それに金田明夫のいい加減さが巧くミックスされ、面白い作品に仕上がった。1975年の設立メンバーである橋爪功から、2013年、つまり昨年入団した深見由真まで、実に幅の広い年代がそれぞれの役どころで、お祭り騒ぎのような舞台を呈しているが、決して品が悪くはならない。これだけの年代を揃えられるのが劇団や演劇集団の強みであり、個性である。この作品は、そうしたものがうまく活かされ、良い意味での「暴発」を見せた芝居だ。

現代が、ペストに脅かされる中世のロンドンと同じだとは言わないが、驚異の形が変わっただけで、実はかなり近いところにいるのかもしれない。しかし、そこに生まれ合わせたのも巡り合いとばかりに、馬鹿騒ぎを繰り返す愚かでせこい登場人物たちの行動を、観客は大笑いして観ている。芝居とは、これでいいのだ。たまには、自分の人生に深く想いをいたしたり、涙を滲ませたりする芝居も必要だ。しかし、どんな時にもわがままでしたたかな「人間」を、「馬鹿なやつ」と思いながら、たいして程度の変わらない我々が客席で腹を抱えて眺めている。この光景もまた、見事な喜劇だと、ベン・ジョンソンは皮肉な笑いで眺めているのかもしれない。どれほど時代が変わり、文明が進もうと、人間の本質など簡単に変わるものではない。その視点で観れば、この芝居は大いなる「人間讃歌」でもあるのだ。