この「演劇批評」でも、何度か奈良県・明日香村に拠点を置いて活動している和太鼓集団「YAMATO」の事は書いた。年間約200ステージの多くを海外で行い、1993年の結成以来、世界53ヵ国で公演を行い、総観客動員数が600万人を超えたという集団だ。和太鼓集団はどこもそうだが、そのステージはほとんどスポーツに近いほどハードで、ずば抜けた身体能力を持っていなくてはできない。もちろん、太鼓を叩けた上で、のことだ。

最初に彼らのステージに出会った時、その魅力は「土俗的で、我々日本人の『原初』の感覚を呼び覚ますところ」にあると書いた。古代の神に奉納する藝能としての感覚に近いものを持っていたのだ。しかし、同時に藝能は進化するものだ。その土俗的な匂いを微かに残しつつも、ここ数年の間で彼らのステージはみるみる変わった。外国では2000人を超えるホールが満員になる集団でも、日本ではなかなかそうは行かない。それを、地元である日本の人々にどう見せるか、という試行錯誤の結果、ステージが「ショー」として洗練されて来たのだ。

「和太鼓を聴かせる」という本質に何も変わりはない。それ以上でも以下でもいけない。その中で、若いメンバーの技術がずいぶん進歩した。ベテランはさらに力を増した。それが、二幕の構成も徐々に変化をもたらした。その結果、本来の聴かせる要素に加え、「見せる」要素が進化し、2時間のステージのまとまりがより濃度の高いものになった。観客席とのコミュニケーションの取り方も以前よりもスムーズになり、最後にはステージと客席が一体化する。うまく観客を乗せることができるようになった証拠である。

今年は4月12日に奈良県・桜井市でツアーのスタートを切り、全国47都道府県で公演を行うという。それがすべて終わる頃には、同じステージでもさらに密度の濃いものになるだろう。各地の観客が舞台を育てるからだ。ハードなツアーのスケジュールの中で、日々違う土地で同じステージを見せても、各地での観客の反応は違う。これは、「倭」だけではなくどんな芝居にも言えることで、ここが全国ツアーの面白いところだ。

今年のツアーは第一弾「路上」と第二弾「爆音綺譚」の二つのパターンがある。焼津での今回のステージは第二弾の「爆音綺譚」で、下半期のいずれかで第一弾の「路上」も聴いてみたい。なぜ彼らがステージの内容を二種類に分けたのか、その理由が知りたいからだ。演奏する曲は当然違うが、コンセプトがどのように違い、どういうステージを見せるのか。何がどう違い、あるいは違わないのか。20周年を一つの起点として、新たな歩みを踏み出した彼らのパワーに満ちた音楽の先に、何が見えるのだろうか。それが楽しみな集団だ。