歌舞伎に対抗する演劇としてのジャンル・新派ができて121年。立派な古典芸能である。いつ頃からだろうか、同じ古典芸能である歌舞伎の驚異的なブームとは裏腹に、長期低落傾向が続き、観客の離脱に歯止めが利かなくなった。時期を特定するのは難しいが、私の記憶にある限りでは昭和54年に初代の水谷八重子が亡くなったのが大きなダメージだった。それから数えてももう30年の間、新派は「自分たちのするべき芝居」の模索に悩み続けていた。人気漫画「はいからさんが通る」を舞台化して若い観客の動員を図ってみたり、歌舞伎の人気役者や杉村春子、山田五十鈴といった大女優のゲストを仰ぎ、新派の名狂言に何度目かの命を吹き込もうと苦心惨憺して来たが、なかなか思うようには行かなかった。

 確かに、この時代に、いくら名作とは言え、泉鏡花の「婦系図」や「日本橋」ばかりでは観客の動員は難しいだろう。その一方で、先人たちが苦難の果てに残した珠玉の芝居を古くなったからと簡単に捨て去るわけにもゆかぬ。新派に関わる人々の多くは、新派の財産演目を活かすことと、今の時代の芝居との感覚の「ずれ」に悩んできたはずである。

 しかし、ここ数本の新派の舞台を観ていて感じるのは、そうした長い暗闇にかすかな光が見えてきたことだ。今月の新橋演舞場の橋田壽賀子作、石井ふく子演出の「おんなの家」。水谷八重子、波乃久里子に沢田雅美が加わっての三姉妹の物語だ。観客は実によく反応し、笑っている。実はこの作品、昭和49年から平成5年までの長きにわたって、TBSの東芝日曜劇場で放送され、好評を博したドラマが元になっている。杉村春子、山岡久乃、奈良岡朋子という三人の名優を三姉妹に充て、「花舎」という炉端焼き屋を舞台にした笑いあり涙ありのホームドラマで、当初の好評を受けてシリーズ化されたものだ。当時、とても楽しみに観た記憶は今も鮮烈である。しかし、これをそのままというのはどだい無理な話で、主役の三人のうち健在なのは奈良岡朋子一人になってしまった。また、当時の時代感覚と今の相違もあろう。とは言え、こうして評判の良かったものを、今の新派のメンバーに当てて書き直し、時代も多少ずらして演じる。今回はこの試みが見事に成功した。テレビで描かれていた三姉妹それぞれの性格が今回の八重子、久里子、沢田の三人にぴたりとはまったことも良かった。この芝居で、「おんなの家」という作品が蘇り、新たなる命を吹き込まれたのである。これは大いに喜ぶべきことだ。

 来年には有吉佐和子原作の「三婆」が同じく新橋演舞場で上演される予定である。こちらは、昭和48年に芸術座で新派の市川翠扇、劇団民藝の北林谷栄、東宝の一の宮あつ子で初演され、大好評を博した芝居だ。以来、配役を変えては繰り返し上演されてきたが、今度は新派のメンバーで演じる。これも多少の脚本の改訂は必要になるだろうが、商業演劇の名作が蘇ることに違いはない。考えてみれば、新派の「婦系図」にしても「日本橋」にしても、こうして配役を変え、連綿と受け継がれてきたものだ。今、こうして2,30年前の名作を掘り起こし、新しい酒を注ぐことによって、新派の今後の一つの方向性が見えてきた。もちろん、こうしたことばかりが新派の仕事ではあるまい。先人が遺した財産を、現代の観客が納得し、共感できるような形で上演する大きな使命は変わらない。しかし、今までの試行錯誤が観客の支持という一番ありがたい形で実り始めたことは喜んで良いと思う。

 三越劇場では「太夫さん」や「女将」などの新派の財産演目や、杉村春子の「女の一生」に挑戦するなど新しい試みで新派公演も根付いてきた。ここでいきなり新派がブームになるとは思えないし、そんなことになっても困る。ただ、何度も離合集散を繰り返し、幾多の危機に直面してきた新派が、ここ数十年の中で最大の危機をどうやら乗り切ったような感覚が見えた。これは、評論家としても観客としても非常に喜ばしいことである。とは言え、八重子や久里子の跡を追いかける女優の育成や、若手の男優の育成、脇役の充実など、課題はまだまだ多く、手放しで喜んでいるわけにはいかない。ただ、同じ荷物を背負っていても、先の見えない真っ暗闇を歩くのと、いくらかの光でもトンネルの出口が見え始めたのとでは大きく心象が違うだろう。このチャンスを、うまく活かしてほしいものだ。