先ごろ、秋の叙勲の発表があり、芸能の世界の人びとでは、文化勲章の桂米朝、坂田藤十郎をはじめ何人かがその栄誉に輝いた。勲章や褒章とは制度を異にする中に、「芸術院会員」というものがある。上野公園の中にある「日本藝術院」の会員で、会員の互選により会員の補充が行われるシステムだが、芸能の道を歩く人びとにとっては栄誉なことだ。

 もう二十年以上も前のことだ。劇団「前進座」の五世河原崎国太郎と話をしていたら、ふと国太郎が真面目な顔で「芸術院会員になれないものかねぇ」と呟いた。私は一瞬、耳を疑った。左翼思想を持ち、かつては共産党へ集団入党した歴史を持つ前進座の役者は、当時は国が与える栄誉とは最も遠い位置にいたし、国太郎自身が、そうしたことを嫌う役者だったからだ。

 不思議に思った私は、「なぜ芸術院会員になりたいんです?お客様の拍手が一番の宝物、とつねづねおっしゃっているでしょう」と質問をした。その折の、国太郎の答えが奮っていた。

 「お前さん、知ってるかい?あれになるとね、国鉄のグリーン車の無料パスがもらえるんだよ。そのほかに年金もいただけるんだけど、あたしは劇団からお給金はいただいているから、国鉄のパスだけ、もらえないかねぇ」

 「なぜ、そんなにパスがほしいんですか」

 「ほら、うちの劇団は巡業が多いだろう。あたしは座の立場上、みんなでもってグリーン車に乗せてくれるけど、そのかかりだけだって大変なんだよ。あたしは、普通車でいいから、その国鉄のパスをくれれば、ずいぶん座も助かるだろう。だからほしいんだよ」

 まだJRではなく「国鉄」の時代である。当時は国会議員も同様の特権を持っていたはずだ。しかし、巡業で使うのに劇団に負担をかけたくないから、国鉄の無料パスがほしい、という半分冗談交じりの国太郎の話は微笑ましかった。

 こんなことを書いていたら、もう一人の人物を想い出した。直接のお付き合いはなかったので、直に聴いたわけではないが、彦六になって亡くなった噺家の林家正蔵の話だ。俗に「稲荷町の師匠」と呼ばれ、清貧の中に暮らしていた。私が知るのは晩年の高座だけだが、穏やかな顔をしていながらも若い頃はその正義感からか、ずいぶん喧嘩をしたらしい。あだ名の「とんがり」というのはそこから来たものだ。

 その正蔵が、寄席へ出る時に、「割安だから」と地下鉄の定期券を買った。定期券は期間内であれば何度でも乗り降りできる便利さだが、正蔵は寄席へ出かける時しか使わない。「それじゃもったいない」と注進した弟子に、「何を言ってるんだ、寄席からもらったお足で買ったもんだ、寄席へ仕事で出かける時以外に使えるものか」と言ったそうだ。そう言えば、正蔵も熱心な共産党支持者だったが、二人の精神のつながりはそこではない、と私は想う。

 国太郎と正蔵の微笑ましいエピソードをつないでいる一本の線、それは、「明治生まれの男の気骨」、である。

 成果など、簡単に出るものではない。