最近、歌舞伎ファンになった読者の方々には予想もつかないことだろうが、今から30年以上前、私が高校生の頃、歌舞伎の興行成績は惨憺たるものだった。「歌舞伎の殿堂」と呼ばれる歌舞伎座で、10ヶ月間毎月歌舞伎が上演されるのは今でこそ当たり前だが、その頃は、年間10ヶ月、残りの2ヶ月は新派公演や萬屋錦之助(先代)、三波春夫などの公演があった。

そういう状況だから、今のように連日満員で前売り開始と同時に観客が殺到などという事態はなく、いかにものんびりしていた。新聞の広告で売り切れや貸し切りの日を確かめ、その日の朝に出かけて当日券を買っても、入れないようなケースはほとんどなかった。

決して、上演している芝居の質が低かったわけではない。むしろ、昭和の歌舞伎を彩った名優たちがまだ衰える前で、意気盛んにいろいろな演目を演じ、舞台には元気があったが、哀しいかな、観客席はガラガラに近い状態だった。今では想像もつかないほどだ。その後、昭和の末に「歌舞伎ブーム」なるものが起き、ブームはもはや日常現象と化し、最近では「江戸検定ブーム」なども手伝って、歌舞伎は元気を取り戻している。

しかし、歌舞伎の400年という歴史を考えれば、数十年単位でこうした波があるのは当たり前のことで、浮きっぱなしもなければ、沈みっぱなしもない。我々観客が、どの時期に当たるかが問題ではあるが、浮いている時でもまずい芝居はあるし、沈んでいる時でもキラリと光る芝居はある。そういうものを探し、皆さんに伝えるのが、我々「演劇評論家」を標榜する者の重要な役目の一つだ。

これは歌舞伎に限ったことではなく、どのジャンルにも言えることだ。それを四十年近くにわたって眺めて来た中で、ずいぶん多くのシーンを観て来た。感動もあれば怒りもある。喜びもあれば深い哀しみも経験した。その徒然を、思い出すままに少し綴ってみようと考えている。

私が自ら意識的にではないが、最初に観た舞台は昭和45年8月の「マイ・フェア・レディ」である。その感動は今も鮮やかで、その一日の舞台が私をこの道へ進ませる最初のドアだった。以降、何枚もの素晴らしいドアを開けることにより、何とかここまで芝居の世界にいる。舞台そのものをここで見せることはできないまでも、それにまつわる気軽なエピソードを紹介して行きたい。いつまで続けられるか分からないが、毎週一回、しばしのお付き合いをいただければ幸いである。