能に『道成寺』という演目がある。恋の執念に狂った女性の情念の恐ろしさを描いた作品で、能の中では扱いが重い曲とされている。ただ、テーマがわかりやすかったために、割に早い時期に歌舞伎舞踊に移され、歌舞伎の世界で「道成寺物」と呼ばれるほどの数を生み出す一大人気作となった。

 その最初のものは、延宝年間(1673~1681)二世玉川千之丞によって演じられたとされている。歌舞伎の誕生から100年を経ずして、能を歌舞伎化する試みが行われていたということだ。以降、『傾城道成寺』(けいせいどうじょうじ)、『奴道成寺』(やっこどうじょうじ)、『百千鳥道成寺』(ももちどりどうじょうじ)など、多くの作品が生まれたが、決定版と言えるのは宝暦3(1753)年に江戸・中村座で初代中村富十郎によって踊られ、現在まで伝わる『京鹿子娘道成寺』だろう。女形にとっては憧れの演目であり、女形を専門とする役者に限らず、多くの役者がこの舞踊を踊って、艶やかな娘が恋の炎を燃やすさまを見せた。

 ざっと想い出せるだけでも、六世中村歌右衛門、七世尾上梅幸、四世中村雀右衛門、七世中村芝翫、十八世中村勘三郎、また、初代が初演し所縁の深い五世中村富十郎などの故人の舞台が眼に残っている。現存する役者では坂東玉三郎を筆頭に、尾上菊五郎、中村福助、中村雀右衛門、中村時蔵辺りだろうか。

 この踊りには通常は「道行から鐘入り」までを踊ることが多い。これは、白拍子(しらびょうし)花子という踊り子に化けた蛇の精が、女人禁制の道成寺を訪れ、舞を奉納すると寺に入り、鐘を見ているうちに自分が追い掛け、逃げられた男のことを想い出し、徐々に本性を現わし、蛇体となって鐘に登るまでを見せる。これに「押し戻し」というものが付く場合があり、鐘の中に入った花子が完全に蛇の精に姿を変え、この世のものではない、という印の茶色の隈取を施し、それまでの可憐な娘から一転して変化(へんげ)する。それを、荒事の象徴のような「大館左馬五郎」という男が、高下駄を履いて太い竹を持って花道から登場し、立ち回りの末に蛇の精を調伏するところまでを上演するものだ。

 通常の場合だと上演時間は1時間15分から20分程度だが、「押し戻し」を付けると1時間40分ほどになる。その分、迫力も増すが、他の演目とのバランスか、あまり上演されない。どちらを好むかは観客の視点によるもので、最後の迫力を求めるか、娘の可憐さが崩壊しかけたところまでで満足するか、それは十人十色だ。

 長い踊りのようだが、舞台を観ていると、短い踊りがいくつも繋ぎ合わされ、その度に使う小道具も笠や手拭い、鞨鼓、鈴太鼓など目まぐるしく変わる。また、舞台を引っ込んで衣裳を変えたり、踊りながら「引き抜き」と呼ばれる歌舞伎独特の手法で一瞬にして衣裳を変えるなど、見せ場も多いことも、人気の一つだろう。娘を二人に分け『二人道成寺』とする場合もあるが、やはり一人の女形がさまざまな姿を見せながら踊り抜くのがいいようだ。

 女形が一番美しく見えるのは、身体を苛めていて、その姿勢が苦しい時だという芸の口伝がある。一人で一時間以上を踊り抜く大変な踊りであり、最も気を付けなくてはいけないのは舞台に立っている時の後ろ姿ではないか、と私は思う。ふとした瞬間に、「男」に見えてしまうことがあるからだ。そんな時に、「芸」の怖さを改めて感じる。