002.『一本刀土俵入』作:長谷川伸 2017.04.17

 歌舞伎、新国劇、その他の時代劇、大衆演劇など、日本で最も多く上演されている時代劇ではないだろうか。女剣劇で一時代を築いた浅香光代(1928~)から、「正確には数えていないが、3,000回は演じた」と聞いたことがある。この数字の確度はともかく、それほど多くの観客に愛されたことの傍証にはなるだろう。新国劇では島田正吾(1905~2004)、歌舞伎座は十七世中村勘三郎(1909~1988)、十八世中村勘三郎(1955~2012)、六代目中村勘九郎(1981~)の三代にわたって演じているほか、二世尾上松緑(1913~1989)も持ち役にしていた。前進座では中村梅之助(1930~2016)の舞台が眼に残っている。現在は、九代目松本幸四郎(1942~)が持ち役にしている。

 相撲の才能がないと破門にされ、空腹で倒れそうになりながら歩いている駒形茂兵衛とを、取手の宿場女郎のお蔦があり合わせの身上をすべて恵んでやる。見知らぬ人の好意に何とか生き返った心地の茂兵衛は、決意を新たにする。やがて時が経ち、茂兵衛は念願の相撲取りにはなれず、博徒として生きている。十年前に世話になった恩返しにと、お蔦を探しに来るものの、当時を知る人はほとんどいないばかりか、いかさま博打で追われて来た一人の男と間違えられ、土地のやくざに斬りかかられる。様子を調べたらお尋ね者はお蔦の亭主だった。子供もいる三人を逃がしてやるのがせめてもの恩返しと、桜の木の下で、横綱の土俵入りの代わりにやくざを叩きのめし、「棒切れを振り廻してする茂兵衛のこれが、十年前に櫛、簪(かんざし)、巾着ぐるみ、意見を貰った姐さんに、せめて、見て貰う駒形のしがねえ姿の、土俵入りでござんす」との幕切れの台詞は、「男の純情」を描いてあますところがない。

 作者の長谷川伸(1884~1963)は、幼い頃母と別れ、小学校を中退して働くなどの苦労を重ね、文壇で確固たる地位を築いた作家だ。当時の「大衆文学」の旗手としての人気を誇ったが、芝居でもよく上演される実体験に基づく『瞼の母』や、『雪の渡り鳥』など、主人公がやくざや博徒などの社会からはみ出た人物で、常に弱者に優しい眼差しを注いでいるのが特徴だ。それが、長谷川作品の人気の原因の一つであったことには間違いがない。
 
 『一本刀土俵入』は、茂兵衛の相手役である、宿場女郎のお蔦が良くないと、茂兵衛の義侠心も光らない。歌舞伎では六世中村歌右衛門(1971~2001)、七世尾上梅幸(1915~1995)、九代目中村福助(1960~)などがよく演じていたが、前進座の創立メンバーの一人であった五世河原崎国太郎(1909~1990)のお蔦が秀逸だった。自らも身を落とし、昼酒に酔っていながら、困った若者にすべてを与える。それでいて、恩着せがましさがない。何度も頭を下げながら花道を引っ込む茂兵衛にふと気づき、「あれ、まだあんなところでお辞儀をしているよう。そんなに嬉しかったのかねぇ」というような刹那的な感覚が良かった。それだけに、歳月が流れて、恩返しに来て急場を救ってくれた気持ちに涙が出るのだ。この家族とて、人に褒められる亭主ではない。親子三人が何とか雨露をしのいで穏やかに暮らせるように、と思いつめた挙句の行動だ。それを認めることはできないが、同じ世界に身を落とした茂兵衛には、理解もできるのだ。

 国太郎から聞いたことがある。「あたし達が劇団を作ったばかりの頃は、貧乏で上演料が払えなくてねぇ。長谷川先生は、それを御存じだったから、『おまえたちはただでやっていいよ』って。ありがたかったですよ」。