1986年以来恒例となっている前進座の五月・国立劇場公演は、鶴屋南北の『お染の七役』だ。ちょうど80年前の1934年、まだ劇団が創立して間もない頃に、先代の五世河原崎国太郎が、渥美清太郎の改訂・脚本で復活上演し、七役を演じて歌舞伎界でのスタンダードな演目となったものだ。以降、坂東玉三郎や中村福助、そして当代の六代目国太郎が演じ、女形の人気演目となった。当代は16年前に国太郎を襲名した折の演目でもあり、祖父以来の前進座の財産演目ということからも、今回の上演に当たっての感慨は一入であろう。今月は明治座で同じ鶴屋南北の『伊達の十役』を市川染五郎が演じており、期せずして南北の「早替わり作品」の競演となった。

油屋の娘、お染と丁稚・久松の心中で名高い事件は歌舞伎化され、幾つもの作品群ができた。最も有名で頻繁に上演されるのは、通称『野崎村』と呼ばれる『新版歌祭文』だろう。今回の『お染の七役』は、正式には『於染久松色読販』(おそめひさまつうきなのよみうり)と言い、心中事件に至るまでのドラマ性よりも、一人の役者が二人の中心人物を囲む人々をどう演じ分けて見せるか、に焦点が置かれている。国太郎は、お染、久松の他に、母の貞昌、奥女中の竹川、お光、芸者小糸、お六の計七役を演じる。立役は久松だけで、後は全く個性の違う女性だ。大家のお嬢さん、田舎娘、御殿女中、芸者、中年、「悪婆」と呼ばれる悪女など、女形の役の類型とも言うべきものの多くが詰まっている。これらを早替わりで外見だけではなく、その心情も含めて演じ分けるのが眼目だ。16年ぶりとあって、初演の折には演じ切れなかった、女性の心理が深まったのが全体の印象だ。同時に、それほどの歳月を感じさせない若々しさを持っている。それを意識してか、母の貞昌などは発声の方法や科白づかいに殊更の気づかいが感じられた。唯一の立役である久松は、中性的な要素を持った美少年で、この役の柄が今までに演じて来た役者の中では最も合っている。

回りを囲むメンバーの中では、矢之輔のコミカルな味、圭史の悪の色気と迫力、芳三郎の二枚目ぶりがいいバランスで舞台を構成している。

幕切れには今年84歳の中村梅之助が健在ぶりを見せ、嵐圭史、藤川矢之輔、山崎辰三郎、嵐芳三郎など、座の総力を結集した公演となった。劇団制の良いところは、世代を超えて多くのメンバーが集まり、密度の濃い芝居を見せられることだ。創立メンバーから数えて「第三世代」と呼ばれる国太郎、矢之輔、芳三郎といったメンバーを中心に、こうして国立劇場での大きな芝居が開けられるようになったのは喜ぶべきことだ。この勢いを更に広げ、これからどういう芝居に挑戦するかが、今後の前進座に課せられた大きな課題だろう。

いろいろな意味で「正念場」とも言えるが、演劇界全体の観客の高齢化、演目の選定などは、どこも頭を抱えている問題である。そこをどう打破するか、劇団としてのまとまりの強みを活かせるのはこういう時でもある。丁寧に時間を掛けて磨き上げてきた先人の財産を大切にしながら、今の世代が次の世代へ渡すべき財産演目をも同時に創らなくてはならない。「第三世代」に課せられた義務は大きく、重いが、幸いにも道が閉ざされているわけではない。今回の公演をバネにして、次へ羽ばたくチャンスである。ここで飛翔をすることが、観客や先人への恩返しになるだろう。苦しいところだろうが、乗り切って新たな前進座の魅力を創り上げてほしいものだ。