東京では相変わらず完売の好況を続けている文楽。しかし、歌舞伎のように毎月公演があるわけではなく、公演期間も二週間余りと短いのは残念な限りだ。

 「令和」と元号が改まって初の文楽の公演は、近松半二の名作『妹背山婦女庭訓』の通し上演である。1771年に近松半二らが創った作品で、歌舞伎でも人気の演目である。歌舞伎では『吉野川』、『御殿』(文楽では『金殿』(きんでん)と呼ぶ)、たまに『道行恋苧環』(みちゆきこいのおだまき)が上演され、これらに関連する場面を「半通し」のような形式で上演することがある。特に、「両花道」を使い、客席を川に見立てて、領地争いをしている男女が川を越えて対話しながら登場する『吉野川』は、人物の構成や運びがシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に似ていることもあり、人気がある一方、難しい場面でもある。

 この作品は非常に長いもので、なかなか「完全上演」は難しい。今回も、大正10年以来実に98年ぶりに大序『大内の段』が上演されているが、それでも、長大な物語の結末までは時間の関係で上演できない。しかし、大作の始まり、オペラやクラシックで言えば「序曲」のような意味合いをも持つ「大序」から始まる今回の「通し上演」は意義深く、これぞ国立劇場の仕事であり、滅多に観られるものではない。  今回の上演にしても、普段は上演されない場面を見せながら、第一部は10時30分開演、3時過ぎの終演後、第二部が3時45分の開演、終演は9時に近い。一日で通して観ると、合計10時間半に及ぶ大仕事だ。  「通し上演」に意義があるのは、歌舞伎のような「名場面」の上演だけだと埋もれてしまう物が見えて来る点にある。この『妹背山』も、『吉野川』のような趣向が凝らされている場面もある一方、最初から丹念に眺めていると、壮大なスケールの「謀略政治劇」なのだ、ということがはっきりと分かる。吉野川を挟み、領地争いで揉めている男女の子供同士が恋に落ちる。争いは自分たちで終わりにし、子供たちの恋は何とか叶えてやりたいと思う親心が果たせず、若い二人が命を落とす結果になる。この悲しい結末も、すべては「大序」で示される「蘇我蝦夷子(そがのえみじ)」が天皇の座を狙い、謀略の限りを尽くしたための犠牲者である。『金殿』で求馬(もとめ)に恋するお三輪が命を落とすのも、蝦夷子の暴走を止めようとする天皇の忠臣・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)や、その子息の求馬実は藤原淡海(ふじわらのたんかい)の行為からだ。天皇の位を乗っ取ろうなどとは今では想像もつかない話だが、日本の長い歴史の中で繰り返された事実でもある。それを「芸能」の中で描いて見せることの意義、そして数百年の歳月を経て、天皇が御代代わりをしたその月に見る意味、それぞれに特有の物がある。

 この大きなテーマの中に忠臣・芝六の物語なども盛り込み、丹念に筋を追いながら長大な物語に仕掛けられた陰謀の謎解きを観るのは、楽しいものだ。江戸時代の人々の観劇の感覚が少しリアルに感じられるような舞台でもある。と同時に、今から250年近く前の浄瑠璃作者が持つ古典漢籍や歴史の知識の深さに、改めて脱帽の想いだ。