四月の歌舞伎座は、珍しい演目で幕を開けた。中内蝶二という、明治の後半から昭和の初期にかけて活躍した劇作家の作品で『醍醐の花見』。中内蝶二と言えば、劇団新派の初代水谷八重子が井上正夫と演じた『大尉の娘』が有名で、歌舞伎舞踊を書いていたとは知らなかった。もっとも、調べてみると、これは元来が長唄の曲として大正10年に創られたもので、舞踊劇としては今回が初演となる。題名からもわかるように、豊臣秀吉が催した盛大な「醍醐の花見」を舞踊にしたもので、中村鴈治郎の秀吉、中村扇雀の淀の方を中心に、中村壱太郎、尾上松也、中村歌昇などの若手が顔を見せる。

鴈治郎の秀吉が持ち前の愛嬌で秀吉には合った柄で、華やかな花見の様子が描かれるが、幕切れ近くになると松也が演じる甥・秀次の亡霊が現われ、一転、空気が変わる。この辺りの劇的構成が「大正」という時代のモダンな感覚を表現している。若手の顔ぶれを見せるにはよい演目になるかもしれない。

次が、上方の世話物『伊勢音頭恋寝刃』。初役で市川染五郎が福岡貢に挑戦をしている。江戸時代の観客にとっては、生涯に一度は出かけたいと思っていた「伊勢」の風景を見せながら、実際に起きた殺人事件を絡めて創った芝居で、ニュースと観光ガイドをも兼ねていたところにも、江戸時代の歌舞伎の面白さがあったのだろう。
伊勢神宮の御師(神職)・福岡貢を中心に、蜂須賀家の重宝「青江下坂」の名刀を巡って起きる事件に、色恋がからむ芝居だ。「油屋」「奥庭」の場面は上演される機会も多いが、今回は「追駆け」「地蔵堂」「二見ヶ浦」「油屋」「奥庭」と、ほぼ完全な通し上演に近い形での上演である。

染五郎が演じる貢は歌舞伎の役柄では「ぴんとこな」と呼ばれ、柔らかさと強さを合わせ持った上方の二枚目、という役どころだ。今は、上方の演目を上方の役者だけで上演するのはほとんど不可能な状況になってしまった。今回は、貢を持ち役にしている片岡仁左衛門が、染五郎にこの役を教えたという。こうして家を超えて役柄が血縁だけではなく伝承されていくところに、歌舞伎が古典芸能たる値打ちがあるのだろう。

染五郎の貢、全力投球で丁寧に演じている。共演者の尾上松也、中村隼人、中村梅枝、中村米吉らを引っ張りながらの奮闘だ。貢に従う隼人の奴・林平は若くて勢いがあるのがよいが、時に科白の語尾が消えてしまう。こういうところはきっちりやるべきだろう。貢の家来筋で、今は料理人をしている喜助に松也。よい役だが、その良さをまだ見せ切れていない。隼人も松也も、若手が大きな役を自分の物にする機会だ。物怖じせずにぶつかってほしい。貢の主筋に当たる若旦那・今田万次郎に片岡秀太郎。今回のメンバーの中では最年長だが、上方の色気を持つ貴重な役者で、「つっころばし」と呼ばれる、突けば倒れるような若旦那の風情がある。これが芸の年輪でもあろう。

貢の恋人で、梅枝が演じるお紺が愛想尽かしをするのが後半の悲劇になる。若さは買えるが、まだまだ勉強の段階。二人の恋路を邪魔する仲居・万野に市川猿之助。意地が悪い役で、あえて女形の声を造らずに地声で演じているのが良い。ただ、もっと意地悪く、粘着質に演じてもよいだろう。そうしないと、染五郎の貢を精神的に追い詰め、刀で叩かせるという偶発的な事故にまで至らない。こうした過程を経て、忠義を尽くそうとした貢が、回りの思惑や食い違いで人を殺めてしまう悲劇が、だんだん引き立ってゆくのだ。それを土地の名物や風俗を織り交ぜながら見せるこうした芝居は、次の時代へ残したい物の一つだ。

昼の部の最後が松本幸四郎の『熊谷陣屋』。幸四郎を襲名して13回目の上演だという。妻の相模が猿之助、藤の方が市川高麗蔵、弥陀六が左團次、義経に染五郎という配役。幸四郎は「若い頃は主君への忠義として我が子を殺す、という演じ方をしていたが、最近は戦場に咲いた儚い夫婦愛を描きたい」とプログラムで語っている。そのゆえかどうか、今回の猿之助、高麗蔵の配役が、この一幕で今までとは違う風景を見せた。

今までの『熊谷陣屋』では、相模を一座の立女形、藤の方をその次位の役者という配役での上演が多く、それを見慣れていたが、今回は藤の方の高麗蔵の方が、立女形ではないにしても年齢も上のベテランで貫禄もある。本来、藤の方は、勇壮な武士の熊谷直実が頭を下げる立場の女性だ。それが、熊谷の妻・相模に若い猿之助を配することで、両者の関係性がごく自然に見える。古い観客には半ば常識になっていることを、改めて考え直した結果だろうが、この組み合わせがうまく行った。猿之助も内輪に抑えた芝居で、『伊勢音頭』の万野で見せた味とは違った顔を見せた。

染五郎の義経、襖が開いた瞬間からいかにも源氏の御大将という品格を見せる。口跡もよく、いい義経だ。義経が桜に託した謎を読み解き、平家の若き公達・敦盛を助ける代わりに我が子の首を差し出す熊谷直実。昭和56年に幸四郎が現在の名前を襲名した折の舞台以来、十七世中村勘三郎、中村吉右衛門、二世尾上松緑、十二世市川團十郎、片岡仁左衛門、十世坂東三津五郎、市川染五郎、中村芝翫などの熊谷を観て来たが、やはりこの役は幸四郎のものだろう。

武士として避けることのできない悲劇を内包しながら、妻と共に我が子を切らねばならなかった哀しみを胸に抱く「一人の男」として、渾身の演技を見せ、昼の部では一番の出来だ。相模との会話も、常に上からの強い調子で叩きつけるようなものだけではないところにそうした工夫が感じられる。
特に、幕切れの「十六年は一昔」の科白で有名な花道の引っ込みで、今まで武士としての本分のために、堪えに堪えて来た哀しみが一気に噴き出す。自分の役目は果たした、と義経の許しをもらって僧形となる。そこへ戦場の騒ぎが聞こえ一瞬武士の感覚に戻るが、それを振り払い、花道を引っ込む。その時に、「アッ」と言い、持っている笠を杖で叩く。今までに観たことのない物で、昨年10月に国立劇場で『仮名手本忠臣蔵』の「四段目」で大星由良助を演じた時にも同じような演技を見た。これは、役柄を踏まえた上での一人の人間の「叫び」だ。

 この一言があることで、立派な武将も一人の人間、子を持つ父であることが鮮明になる。来年の襲名を控え、新しい方法を模索している姿が、幕切れの僧形と重なり、求道者のようにも見える。櫻の見ごろは終わったが、義経が大切にしている舞台の櫻が、多くを語っているように思える。充実した昼の部になった。