二か月に及ぶ中村橋之助の八代目中村芝翫襲名披露興行も、東京は無事に千秋楽を迎えた。時ならぬ初雪に見舞われて驚きもしたが、舞台は大入りのうちにめでたく幕になった。

 夜の部は、片岡仁左衛門が当たり役にしている真山青果の『元禄忠臣蔵』より『御浜御殿綱豊卿』で幕が開く。赤穂浪士が吉良上野介の首を討とうとする企てに、心のうちでは賛同しながらも、将軍家の一員である以上は大手を振って進めるわけにはゆかず、ひそかに心を痛めている甲府宰相・綱豊。そこへ、愛妾・お喜世の兄・富森助右衛門が、屋敷での浜遊びの様子を見せてほしいとの依頼。しかし、助右衛門の狙いは、その日の宴席に呼ばれている吉良にあった…。

 理で諭し、情で詰める綱豊と、市川染五郎の富森助右衛門のやり取りは、火花が散るような緊迫感で、お互いの科白の間と調子で、飽きさせない。七十歳を過ぎても若々しい美しさを失わずに朗々と科白を歌い上げる仁左衛門の綱豊は、科白だけではなく情味の点でも一級品だ。市川左團次演じる新井勘解由(白石)を相手に、心情を吐露し、「討たせたい、討たせたいのぉ」という辺りは、思わずホロリと来る。ベテランの仁左衛門に花形の染五郎が取り組んで、がっぷり四つの相撲を取った感のある充実した一幕だ。

 この作品はあまり女形の出番がないが、中村時蔵の御祐筆江島は、どうしたことか科白がやけに現代的に聞こえる。昭和10年代に連続して書かれた作品とは言え、歌舞伎の女形の味わいが薄いのはいささか問題だろう。若い女形に対してのお手本となるべき立場の役者だけに、残念だ。左團次の勘解由は、綱豊の「学問の師」であり、悩める綱豊の想いを受け止める立場だ。しかし、どうも家老のような家来めいた物腰になる。ここは「知恵者」としての凛とした佇まいがほしいところだ。欲を言えば、綱豊の悩みを年功で包み込むような大きな温かさがあればなお良かった。

 80年ほど前の作品だが、多くの役者によって繰り返し上演され、だんだんと洗練されて来たこの作品は、もう立派な古典とも言えるほどに濃密な味わいを持っており、幕切れに「柝」が欲しい芝居だ。

 続いて、『八代目中村芝翫襲名披露口上』。先月とは若干顔ぶれが変わったが、舞台には総勢
17名が並び、何とも壮観。上手より松本幸四郎、市川左團次、中村鴈治郎、坂東彌十郎、市川染五郎、中村時蔵、片岡秀太郎、長老の坂田藤十郎、三代目中村橋之助改め八代目中村芝翫、中村国生改め四代目中村橋之助、中村宗生改め三代目中村福之助、中村宜生改め四代目中村歌之助と今月の主役が座を占め、中村梅玉、中村児太郎、中村扇雀、坂東彦三郎、片岡仁左衛門と並ぶ。新しい名前の誕生を寿ぐ一幕だ。

 次が時代物の大作、『盛綱陣屋』を新・芝翫が襲名披露の演目として見せる。母・微妙に片岡秀太郎、盛綱の妻・早瀬に扇雀、弟・高綱の妻・篝火に時蔵、北条時政に坂東彦三郎、敵役の和田兵衛に幸四郎、注進の信楽太郎に染五郎、伊吹藤太に鴈治郎、盛綱の子・小四郎の尾上左近と、豪華な顔ぶれである。

 「義」と「忠」に挟まれ、兄弟でありながら敵味方に別れ、その上、父・高綱を救うために、子供の小四郎が命を投げ出すという、戦乱の世の中で一家を襲う悲劇を描いた作品だ。弟の高綱がこの幕には登場しないためもあり、理解のしにくい部分もあるが、芝翫の盛綱の風姿が役柄に合っており、予想以上の出来栄え。母・微妙は時代物の中でも「三婆」に数えられる難役の一つだが、我が子が敵対し、その孫の一人が命を落とすという悲劇に見舞われる老女を、武家の女という性根を失わずに演じている。こうした役を演じられる役者が少なくなっているのは大きな問題で、今後の歌舞伎のレパートリーにも影響する。真剣に打開策を講じなくてはならないが、そう簡単に片付くことでもない。

 敵役の和田兵衛、幸四郎が赤っ面を演じるのは珍しいことだが、風格の大きさとその中に垣間見える人物の情理とのバランスがとても良く、芝翫の盛綱に華を添えた立派な幕切れになった。『口上』、そしてこの一幕に兄の中村福助が健在でいれば、との無念が頭をよぎる。弟の襲名を機に、病床でのリハビリに力が入ってくれればとも思う。

 最後が、中村芝翫に由縁の深い舞踊、『芝翫奴』。今月は橋之助、歌之助、福之助の三人が序盤、中盤、後半と日替わりで踊り、この日は一番若い福之助。元気な奴ぶりを見せるのが何よりだ。花の吉原を舞台に、華やかな踊りで打ち出しとなる。

 今月は『口上』を含めて昼夜で七本の演目が並び、顔見世に加えて襲名披露で豪華な顔ぶれ、華やかな狂言立てとなった。特筆したいのは、染五郎が昼夜で五本の演目に奮闘していることだ。昼の部では主役の粂寺弾正を演じる『毛抜』に始まり、『加賀鳶』の頭・巳之助、夜の部は『御浜御殿』の富森助右衛門、『口上』、『盛綱陣屋』の信楽太郎。襲名する芝翫本人よりも出番が多い。一か月でこれだけ多くの役を演じられるのは役者としてまたとない勉強の機会でもある。歌舞伎十八番、黙阿弥の世話狂言、新歌舞伎、時代物。これだけの幅で多彩な役を演じられるのは染五郎に対する期待の大きさもあるが、本人にすれば大変なプレッシャーだろう。しかし、この働きぶりは、染五郎に対する期待が込められたものでもあるのだ。花形、あるいは若手、と呼ばれる世代の頭領としての役目を担わされていることでもあり、この活躍が今後の役柄や芝居にどう発展をするのか。芝翫を襲名した橋之助と共に、その奮闘に拍手を贈りたい。