「美輪明宏 ロマンティック音楽会 2014」

2014.09.18 東京芸術劇場

 毎年秋の恒例となっているこのリサイタル、もう25年ほど聞き続けていることになるか。例年、一部はオリジナルでまとめたり、日本の叙情歌を歌ったりの構成でまとめ、二部はシャンソン、という形式で固定している。今年は一部は「おぼろ月夜」「惜別の唄」「ゴンドラの唄」などの古き良き時代の叙情歌に「金色の星」「ヨイトマケの唄」などの自作の曲が並んだ。二部は「港町のレストラン」というダミアの久しぶりに聞く曲を皮切りに、「人生は過ぎ行く」「ラストダンスは私と」、そして「愛の讃歌」。例年との大きな違いは、二部のシャンソン・コーナーに「日替わりの一曲」のコーナーを設けたこと、最後の「愛の讃歌」を十数年ぶりに日本語訳の歌詞でステージで歌ったことだ。私が観た日の日替わりは「ヴォン・ヴォアヤージュ」。「愛の讃歌」を日本語で歌ったのは、間もなく最終回を迎えるNHKの朝の連続テレビ小説『花子とアン』の語りを担当しており、先日、このドラマのラストシーンで流した日本語版の「愛の讃歌」が大きな反響を呼んだためだろう。

 「愛の讃歌」について言えば、私が美輪明宏のシャンソンを聴いて来た30数年の中では、最初の頃は自らがピアフの原曲をそのままに近く訳した日本語で歌い、しばらく経ってからは、歌う前に日本語で意味を説明し、フランス語で歌う、というスタイルを続けていた。今年からは、また昔のパターンに戻ったことになるが、両者の意味は違う。美輪がこだわり続けた歌詞は、越路吹雪が歌って大ヒットし、一時代の結婚式ソングとなった岩谷時子の訳詞が、ピアフの激烈なまでの愛情を伝えていないものだ、という意見からだった。ステージで訳者の岩谷時子を名指しで批判するような非礼な真似をする人ではなく、確かにその気持ちは分からないではない。しかし、今から半世紀前に、越路吹雪がこの曲を日本語で歌った時の聴衆の感覚を考えれば、口どけの甘い優しい歌詞にくるまれた愛の唄の方が受け入れられやすかった、という事情も一方にはある。どちらが良い悪いの問題ではなく、外国の曲であれば、いろいろな翻訳があって当然のことだ。私が言いたいのは、まさに「歌は世につれ」ということで、受け取る人々が時代と共に変われば、その感覚や感性も変わるのだ、ということだ。しかし、何がどうなろうとも、「愛の讃歌」が不朽の名曲であるという事実だけは微動だにしない。これが歌の素晴らしいところだ。

 日本にシャンソンが入って来てから、間もなく90年になろうとしている。その間に、多くの歌手がいろいろな曲を歌い、「愛の讃歌」のように大ヒットを放ったものもあり、力のあるシャンソン歌手もずいぶん出たが、大変残念なことに、その水脈は徐々に細っているように思える。「陰気くさい」「フランスの演歌だ」「キザったらしい」と、その多くが食わず嫌いとしか思えない意見で一蹴されてしまうことは、本当にもったいないことだ。そうした風潮の中、際立った個性を含めて、孤軍奮闘とも言える形でここまで若い観客を集める美輪明宏のパワーは凄く、もはや神格化されている部分もある。まだ日本が今ほどに鷹揚ではなかった時代に、突出した個性ゆえに排除されながらも何度も立ち上がり、一つの道を切り拓いた功績は大きいだろう。

 私が高校生の時に、テレビのモーニングショーで紹介された自作の「老女優は去りゆく」という曲は、日本のシャンソンの名曲だと私は想う。語りを含めて約7分の長い曲は当時のシングル盤のレコードの片面には収まらず、LP盤へ収録された。そんなことどもを考えながら、この人が歩いて来た茨の道を想う時、我々日本人が忘れてはならない感情をも同時に思い出す。そんなリサイタルである。