ロシアの作家・アルブーゾフ(1908~1986)年が書いた二人芝居で、サナトリウムでのひと夏に起きた院長と一人の女性の淡い恋物語だ。と言っても、二人はとうに60歳を過ぎている。今なら何ということもない話だが、日本で初演された1979年、いまから40年近く前には、新鮮かつ「日本人にはできない」といった感覚も少し加わって幕が開いたような感覚である。
 
 その証拠の一つとも言えるのが、初演のメンバーが、歌舞伎の大御所・尾上松緑(二世)と、文学座の杉村春子という「大顔合わせ」だったからだ。当時、松緑は66歳、杉村は73歳。スポーツ新聞の芸能欄に「合わせて140歳の恋物語癩!」というような見出しが大々的に出たことでも、当時の感覚がわかるというものだ。もっとも、歌舞伎と新劇の名優の顔合わせを煽る目的があったことは想像に難くない。

 わがままで気ままな女性と実直な男やもめの院長のひと夏の淡い恋を描いた作品は、二人の芝居で大当たりになった。その後、「新劇の三大劇団」とよばれる俳優座、民藝が上演したばかりか、いろいろなカップルが「大人の恋」の二人芝居を舞台に載せた。ただ、版権の関係か、上演する劇団により、全部タイトルが違っていた。俳優座では松本克平と村瀬幸子のコンビで『八月に乾杯!』、劇団民藝では、米倉斉加年と客演の越路吹雪で『古風なコメディ』のタイトルで上演された。

 因縁めいた話にするつもりはないが、村瀬幸子は地方公演中のホテルで客死し、越路吹雪はこの公演後、胃がんで病の床につき、これが最期の舞台になった。単なる偶然だが、そうしたこともこの芝居を印象付けた一つの要素だった。この芝居には劇的な展開や驚くような出来事はない。しかし、年齢を重ね、残された時間もそう長くはない大人同士の間に揺れ動く感情を表現するには、役者も経験を積んだ人でなければ、その味わいは出ないだろう。青春の爽やかさ、では表現できない芝居だ。

 アルブーゾフという作家は、それ以前から『イルクーツク物語』、『古いアルバート街の物語』など、今も時折上演される作品で、すでに名を成していた。その晩年に近い時期に残した作品の中で、『ターリン行きの船』はそれまでの作品とは一線を画す雰囲気を持っている。

 もう時効にしても良いだろうから、この芝居にまつわるエピソードを一つ。アルブーゾフが亡くなって数年後、ある演劇人が未亡人を日本へ招待したことがあった。まだロシアとのやり取りが今ほどに簡単ではなく、政治的な面でも窓口になる人が必要な時代だった。その時に、政治面での窓口になったのが、2015年に96歳で亡くなった、女性で初めて衆議院議員を務めた園田天光光(そのだ・てんこうこう)さんで、演劇関係の窓口になったのが私だった。今考えれば、30を出たばかりで、何とも恐ろしい暴挙をしたものだ。

 アルブーゾフ夫人は、当然ながら日本語には不案内で、通訳の方と共に二日ばかり箱根へ遊んだ。ロシアと日本の演劇を中心にした話題に楽しく夜を過ごしたことは、光栄なことだった。天光光さんを交えての会食は何とも贅沢な時間で、きちんとおもてなしができたかどうか自信はないが、アルブーゾフ夫人は心から日本の滞在を喜んでくれたと聞いた。私がこの芝居に愛着を持つのは、そんな事情があるからかもしれない。