小説だけではなく、戯曲にも『鹿鳴館』などの名作を遺した三島由紀夫が、能の作品から何点かを選び、現代劇にしたものが『近代能楽集』だ。昭和31年から43年にかけて間歇的に発表されたもので、『邯鄲(かんたん)』『綾の鼓』『卒塔婆小町(そとばこまち)』『葵上(あおいのうえ)』『班女(はんじょ)』までが第一弾。しばらく間を置いて『道成寺』『熊野(ゆや)』『弱法師(よろぼし)』の3曲を加えた全8曲になり、9作目の『源氏供養』を発表したものの、本人の意思で廃曲とした。なぜ、最後の『源氏供養』を廃曲にしたのか、理由は分らず、現在『近代能楽集』として上演されるのは全8編である。ただ、1981年に、国立小劇場で『近代能楽集』から3編を上演した折になぜか『源氏供養』を観ている。三島の死後11年後のことで、どういう経緯でこの時上演されたのか、今となっては定かではない。

国文学者のドナルド・キーンは「三島戯曲の最高峰」と位置付けており、各方面で評価は高い。これは、単に能を現代劇にアレンジしただけではなく、「能」が芸能の本質として持っている抽象的な感覚をそのまま活かしている点が高く評価をされたのではないか、と考えている。

美輪明宏が度々演じている『卒塔婆小町』にしても、美人の誉高き小野小町の若い時代と、落魄し、九十九歳の老婆の小町を、僅かな時間で早替わりするだけではなく、この作品の中にある「永遠」の感覚を現代劇として破綻なく作り替えたところが評価されていると同時に、「芝居として面白い」という最も単純かつ明快な「義務」を果たしていることだろう。古典作品を現代化する試みは三島が初めてのわけはないが、この段階で原作本来の味わい、あるいは現代劇にした時の面白さを失うケースがある。そうならずにすんだのは、三島由紀夫の才能だろう。

 比べるのも恥ずかしいことだが、私も古典作品のテキストレジーに取り組んだ経験があるが、原作をどう活かし、どこを切り捨てるか、その判断と時代に合わせた言葉選びは、途轍もなく苦しい作業だ。三島がどういう基準で選んだにせよ、8編の能が現代劇の形で残り、上演されているのは、大きな意味がある。これは、三島が幼少期から能や歌舞伎の古典芸能に親しむという経験と素地があったことは大きく、そうでなければこの発想は出なかっただろう。もっとも、自ら義太夫入りの本格的な新作歌舞伎を書くほどの才能の持ち主でもあり、多彩で膨大な仕事から考えれば、さほど驚くには当たらないのかもしれない。

 美輪明宏の『葵上』『卒塔婆小町』、麻実れい、堤真一の『班女』『葵上』、十朱幸代、国広富之の『綾の鼓』、『弱法師』、藤村志保、高杉早苗らの『熊野』、『卒塔婆小町』、『源氏供養』が私にとっての『近代能楽集』で、『邯鄲』と『道成寺』を見逃していることになる。芝居を観ていると、不思議なことに縁の薄い芝居があり、意図的にではなく、上演されても観に行くチャンスに恵まれないものが、どんな分野にもある。
『邯鄲』も『道成寺』も、『近代能楽集』の中ではそう上演頻度が高くはないが、全く上演されていないわけではない。そのチャンスを一度ならず逃す、ということがあるものだ。幸い、新潮文庫で出版されており、戯曲を読むことはいつでもできるが、やはり舞台で役者が演じてこその芝居だ。こういう芝居にいつか出会えるのを楽しみながら、劇場巡りをしているのかもしれない。