明治維新という激動を経た先人たちが、最も早くに馴染んだ海外の演劇はシェイクスピア、そしてノルウェーのイプセン(1828~1906)のではなかろうか。特に、近代演劇の父とも呼ばれるイプセンの作品は、「女性の自立」をテーマにした『人形の家』のノラが時代を象徴する新しい女性のモデルとなったばかりではなく、今もなお、シェイクスピアとイプセンの作品は世界で最も多く上演されている、とも言われている。

 日本で1906年に坪内逍遥らを中心に結成された「文芸協会」を日本の新劇の嚆矢と考えるなら、それはイプセンからとも言える。ただ、『人形の家』については、あまりに多くが語られていることもあり、ここでは三幕の家庭劇『幽霊』(1881年)を取り上げることにしたい。『人形の家』の2年後に発表されたこの作品、不気味なタイトルだが、この「幽霊」は「呪縛」を意味し、過去の姿に囚われて生きる人々の姿を描いている。

 どこの国にもある「因襲」や「家名」に縛られ、陸軍大尉だった亡き夫・アルヴィングの名を守るために多くの慈善活動に時間と金銭を費やしてきたアルヴィング夫人には、溺愛する一人息子のオスヴァルがいる。久しぶりに帰って来たものの、何ら生産的な活動をするわけではなく、召使のレギーネに色目を使っているような調子だ。この家に出入りする指物師のエングストランと、牧師のマンデルス。登場人物はこの5人だけで、三幕の場面はすべてノルウェーにあるアルヴィング夫人の屋敷の一室で展開される。

 慈善事業のために、夫の名を冠した孤児院を建設しようとし、その完成間近に、孤児院は火事で全焼する。その焼け跡から現われた亡霊のように、今まで隠されていた家庭内の秘密や複雑な人間関係が露わになってゆく…。いかにも、鈍色の空が重く垂れ込め、厳しい気候の中で暮らさねばならない人々の芝居、という感覚だ。

 日本では劇団俳優座が創立まもなくからレパートリーの一つとして繰り返し上演してきたが、日本での上演回数はそう多くはない。私も、文京区・千石にあった「三百人劇場」の劇団昴(すばる)と俳優座の舞台ぐらいしか記憶にない。それにも関わらずこの作品を取り上げたのは、古代アリストテレスに端を発し、フランスの古典演劇が鉄則とした「作劇術の骨法」を見事に踏まえたものだからだ。それは「三一致」と呼ばれ、同一の場所で、時間の経過が一日のうちに、ある一つの筋が展開される、というものだ。この『幽霊』は、「三一致」の上にドラマが構築されている。

 日本の古典歌舞伎には全体を貫くテーマである「世界」と、それを彩るエピソードとも言うべき「趣向」の中で物語を紡ぐ。国による違いはあれ、劇作家は、それぞれのルールに従い、自分の説や思想を展開し、それを「劇的に」見せることに腐心する。今は、「何でもあり」の世の中になった。演劇を囲む現実世界がすでにその状態に置かれている中、いくつもの制約の中で虚構が現実を凌駕することが不可能になりつつある。昔の人々の方が穏やかに暮らしていた、と一言で片づけるつもりはない。むしろ、思想や信仰、道徳、誇りなど、目に見えないものの制約が多かったのではないだろうか。

 自由な時代だからこそ、観客の想像も無限に広がる。その中で古典劇を古臭く見せないためには、演出と役者の手腕が物を言うのだ。それには登場人物を活かすことだろう。