一つの作品が、初演以来半世紀を超えてなお人気を保ち、今も劇団やユニットは違えども頻繁に上演されているのは珍しいケースだ。それ以上に、同じタイトルの作品ながら幾つものバージョンを持っており、場合によっては今でも台本が変化しながら上演されているのは稀有なことだ。

 つかこうへい(1948~2010)の初期の代表作、『熱海殺人事件』。1973年に「文学座」のアトリエで初演されて以降、三浦洋一、風間杜夫、平田満、加藤健一、錦織一清、戸塚翔太、池田成志、阿部寛、山本亨、井上加奈子、岡本麗、平栗あつみ、長谷川京子、内田有紀、黒木メイサなど、演劇界の多彩なメンバーが関わって上演の歴史を重ねてきた。プロ以外のサークルや同好会などを加えれば、正確な上演回数は把握できないのではないだろうか。

 初演の『熱海殺人事件』、その後は『ソウル版熱海殺人事件』、『熱海殺人事件ザ・ロンゲストスプリング』、『熱海殺人事件モンテカルロ・イリュージョン』、『熱海殺人事件サイコパス』、『熱海殺人事件~売春捜査官~』など、時代や場所、演者によって同じ作品ながら変容を繰り返している。

 稽古場では台本がなく、その場の「口立て」で、つかが思い付いた台詞やシチュエーションをもとに芝居を創る方法は有名だが、これは、大衆演劇が盛んな九州でつかが少年時代を過ごしたことと無縁とは言えないだろう。

 今回は、「つかこうへい劇団16期生」としてつかの教えを学び、その後、テント芝居の「新宿梁山泊」の若手看板役者として活動後、2020年に自ら「深海洋燈(しんかいらんぷ)」を立ち上げた申大樹(しん・だいき)の演出で、恩師・つかの『戦争で死ねなかったお父さんのために』と、『熱海殺人事件~売春捜査官~』の2作を続けての上演で、しかもA,B2つのチームでの上演という意欲的な方法である。「深海洋燈」のメンバーを中心に、外部からは「スタジオライフ」の甲斐政彦、「ワイルドシング」の松田優などを迎え、温度感の高い舞台になった。

 私が出掛けた日は千穐楽で、東京は前夜からの雪で各所で交通機関の乱れもあった。まして、決してアクセスが良いとは言えないこの劇場だが、場内は満員の熱気だった。それを上回る熱気を舞台で見せたのは言うまでもない。

 演出を担い、自らも犯人の「大山金太郎」を演じる申の才気が活きたと感じたのは、彼が今まで「テント芝居」で身に付けた感覚を、巧みにこの作品に活かしたことだ。それは、演劇の良い意味での猥雑さであり、祝祭的な感覚であり、爆発的なエネルギーであり、祭りのあとの哀しみでもある。これは、つかの作品の根底を流れるものとの共通点が多く、そこを巧く捕まえた、ということだろう。

また、つかが終生、自分の中でいろいろな意味でこだわり続けた自らの出生地の問題を、韓国の伝統的民謡「アリラン」に託し、実在はしないが「アリランの花」にして見せたところは、恩師への想いが感じられる。この「アリランの花」は、劇中でも登場する女性ダンサーたちの名でもあり、まさに光の届かない深海に仄かに灯るランプのような群舞のたゆたいを見せる。こうした一連の仕掛けは、つかへのオマージュであるのはもちろん、つかの祖国に対する想いの具現化でもあったのだろう。これは申にしかできない演出だ。

 この『売春捜査官』は「木村伝兵衛」を女優が演じ、しかも日替わりである。この日は「深海洋燈」の傳田圭菜だった。かなりテンションの高い演技が続くが、その中でふと見せる哀しみや困惑の表情が活きた。甲斐政彦の「桂万平刑事」は、同性愛者の設定だが、ベタベタにそれを感じさせるわけではなく、ふと垣間見せる割合がちょうど良かった。男性ばかりで構成されている劇団「スタジオライフ」の初期からのメンバーで、今までにずいぶんの舞台を観てきた俳優だが、年を重ねて深みを増した。

 つかこうへいの作品群を眺める時、彼が演劇界や文学界で頭角を現わし始めた1970年代という時代を無視して考えることはできない。それらを、時代が生んだ寵児の作品と観るか、その中にある普遍的な問題に焦点を当てるかで見え方は全く違ってくる。申の演出は後者で、この作品が持つ「核」にスポットを当て、それを剥き出しにするかのように舞台を創った。その「核」とは、今も厳然と横たわる差別であり、我々が忘れかけている祖国への想いであり、変わらぬ人間同士の愛や情である。

恩師への想いが溢れる舞台になったと言える。継承されてゆくのは古典芸能に限ったわけではない。改めてつかの持つ作品のエネルギーの大きさをも知らせてくれた舞台でもある。