幻想・耽美の世界で一つの分野を確立した赤江瀑氏の訃報が入ったのは、京都の南座で玉三郎公演を観た直後だった。今年は、中村雀右衛門、淡島千景をはじめ、名優の訃報が多く、さらに、自分が物書きとして影響を受けて来た作家の急逝は、想いもよらぬショックを与えた。

赤江瀑という作家は、世間的には売れっ子作家とは言えない。しかし、ごく一部の熱烈なファンが、その「美毒」とも呼ぶべき独自の世界に魅了され、惑溺していたのは事実だ。更に言えば、赤江瀑の「美毒」の影響を、少なからぬ同業の作家が受けていることだ。これは稀なケースとも言える。「玄人好み」という言い方は、上から物を観るようでしたくはないが、いわゆる一般受けのする作風ではなかった。

「演劇批評」のHPで、なぜ赤江瀑について書くのか。それは、私の中で、泉鏡花以来、谷崎潤一郎、三島由紀夫の系譜を継ぐ「演劇的美学」の持ち主だったからだ。赤江瀑は主に短編小説を得意としたが、テーマは歌舞伎、能楽、香道、舞踊、彫刻、絵画など、日本の文化・芸能の多くを包含したとも言えるほどの広範囲にわたっていた。彼自身、若い頃には国立劇場の懸賞歌舞伎に応募した実績もあり、また、大きな劇場ではないものの、数本の作品が舞台化されている。しかし、いずれも原作の香気をそのまま舞台で反映することはできなかった。それほどに、赤江瀑が持つ言葉の魔術は美しい毒を持っていた。

私が赤江瀑の作品に初めて接したのは高校時代であり、背筋に電気を流されたようなショックを受けた。「こんな世界があったのか」と。その後、個人的なお付き合いをさせていただくようになったが、何かの折に頂いた手紙の中に、「私の世界を追うのはおやめになった方がよろしいですよ。この世界を歩むのは苦しいことです。あなたには、あなたの世界があるはずです」という旨の文があった。先輩が若さだけで猛り逸る後輩を諭すような、柔らかでいて決然とした手紙だった。それから二十年以上を経た今、あえて赤江瀑の世界を自分のようにしようなどという不遜な考えはない。できるわけがないことに気付いたからだ。しかし、赤江作品の何かを、いずれ舞台化したいという欲は、今でも心の中に熾火のように燻っており、これは私が死ぬまで消えないだろう。

読者として三十数年、個人的にお付き合いを頂くようになってからでも二十年以上。私の心の深奥にこれほどまとわりついて離れなかった作家は他にいない。だからこそ、私は赤江作品の魅力をあえて「美毒」という言葉で表現するのだ。この中毒からは、そう簡単に抜け出せるものではない。拠点を下関に構えていたせいもあり、また、ここ数年は体調のゆえか新作の発表がほとんどなかったこともあってか、そう大きな報道がなされたわけではない。しかし、確実に日本の「美」に惑溺させてくれる作家を一人喪ったのは事実だ。

赤江瀑は、得意の魔術で、一瞬にして我々の前から姿を消してしまった。