2025.05.23,06.01 有楽町よみうりホール
総理大臣の動向を報道しない日はあっても、大リーグの野球選手・大谷翔平のニュースを聴かない日はない。明治に日本に入り、俳人の正岡子規なども好んで楽しんだ野球は、戦前は相撲と共に国民的なスポーツだった。昭和30年代には男の子の好きな物は「巨人・大鵬・卵焼き」と言われ、演劇を遥かに凌ぐ人気を誇り、映画スター並みの扱いだった。その構造は今も変わらないようだが、サッカーやバスケットボール、スケートやスケートボードなど、他の種目でも人気スターを抱えるスポーツは増えた。
「スポーツマン」と聞くと、精神も肉体もタフで、爽やかなイメージを持つ人は多いだろう。しかし、我々同様に一人の人間であり、様々な苦悩や苛立ち、不安を抱えながら生きているのは同じことだ。そうした、ベンチの裏側の人間模様を描いたのが、リチャード・グリーンバーグ作の『Take Me Out』だ。小川絵梨子の翻訳、藤田俊太郎の演出で2016年に初演、好評を受けて2018年に再演、今回が3回目の上演となる。
今回は、初演から出演している章平をはじめとする「レジェンドチーム」、330人の応募の中からオーディションで選ばれた「ルーキーチーム」による2パターンの上演だ。昨今、一本の舞台をダブル・キャストで演じることはもはや当たり前とも言える現象で驚く話ではないが、この作品は、テーマや内容は同じでも、チームによりアプローチが違う。そのために、チームごとに違った台本で演じるという趣向での幕を開けた。これは「なるほど」と思える発想で、演技の優劣ではなく、この作品と接した歳月や俳優としての経験、年齢などの違いを考えれば頷ける話だ。しかし、同じ作品ながら違った芝居を2本同時に上演するようなものでもあり、実際に実行するのはとても大変な作業であったはずだ。この試みを成立させた演出の藤田の才気を感じる。藤田の演出は非常に丁寧で、役者の個性をどう引き出すか、に腐心したようだ。その作業の多くは成功したと言える。
メジャーリーグの野球チーム「エンパイアーズ」の人気プレイヤー、ダレン・レミングは、白人の父と黒人の母の間に生まれ、恵まれた肉体と能力を持っている。ある日、ダレンが突然記者会見を開き、自らがゲイであるとカミングアウトする。何も知らなかったチームメイトたちは、困惑、反発、寄り添いなど、それぞれの感情を見せるが、徐々にロッカールームの空気が変わり始める。そして、やがて「事件」が起きる…。
全三幕の芝居を、休憩を挟まずにテンポ良く見せるために、長さは感じない。2組のキャストを見比べると、藤田の狙いがよく分かる。大雑把に違いを言えば、「レジェンドチーム」は大人としての成熟を迎え、自我が確立した人間が抱える問題としてこの作品のテーマを扱っている。「ルーキーチーム」はメンバーの年齢が総体的に若いために、野球をテーマにした青春群像劇の中から浮かび上がる「個の問題」として見せた。見せ方、作品へのアプローチが違うだけで、作品が内包する問題には何も変わりはない。こうしたパターンの違いによるダブル・キャストは非常に面白く、アイディアと努力の勝利だ。
現在の日本では、「LGBTQ」と略される「性の多様性」の問題が以前よりも遥かに広く認識されるようになったが、この作品が持つ多様性は、そこだけにあるのではない。アメリカという広大な国には、様々な人種、宗教が混在しており、「人種のるつぼ」と言われる。この「エンパイアーズ」というチームにしても、選手には日本人もいればドミニカの人もいる。宗教も違えば肌の色も違う。そうした、さまざまな違いを、理解しようという気はあっても、根本的なところは理解し合えない薄氷の上に立っているような人々の感覚がある。多くのファンを持つ野球チームは、勝敗はもとより各選手の打率、ホームラン数、ピッチャーの防御率など大事なことはたくさんあり、結果を出すことでファンの期待に応えなくてはならない。それを争う選手たちは、観客席からは見えないロッカールームで、そうした微妙な人間関係に立ち、懊悩しながらもそれを振り払ってグラウンドへ出てゆく。
肌の色による差別が比較的少ない日本では、そこでの差別感を自覚する機会はあまりないものの、海外へ出れば「黄色い肌の人」であり、時に中国や韓国の人々と間違えられる。それが間違いだけで済むか、差別につながるかは、出掛けた国やぶつかった相手によるだろう。宗教に関しても、日本では個人の信仰に深入りをしないのが一つのマナーとの暗黙の了解がある。しかし、それは世界の共通ルールではなく、宗教を巡る対立や戦争はいまだに収まらない。日本では、発言に大きな力を持つ立場の人が「神なんかいない」と堂々と自分の宗教観を示すことはないだろうし、逆に非常識だと思われかねない。この作品は、普段の我々が忘れている「日常」、「民族性」などの人生にまつわる大きないくつもの問題について考えるきっかけを与えてくれる。
「レジェンドチーム」の演技は、台詞の質量に重みがある。「ルーキーチーム」の台詞は、スピーディで勢いがある。同じ台詞でも演者により大きく印象が変わるものだ。ダレンを演じるのは、2016年以来この役を演じている章平。3演目だけあって、身にまとっている雰囲気に落ち着きがある。また、彼の肉体が醸し出す重量感は優れたもので、身体が大きい、鍛えているなどの問題ではないところにある。チームメイトでダレンに理解を示そうとするキッピーは三浦涼介。全く野球に興味を示さなかったが、ダレンの会計士になり、ダレンに対する尊敬を高めるメイソンは玉置玲央。三浦は時にエキセントリックとも言える繊細さを見せ、玉置は誠実な折り目正しい演技を見せる。
「ルーキーチーム」ではダレンは野村祐希、キッピーは八木将康、メイソンは富岡晃一郎。高倍率のオーディションを勝ち抜いたメンバーだけに、劇団に所属して活躍中の俳優もいれば、この作品が初舞台となる若手もいる。舞台は、俳優同士の個性がぶつかり合う化学反応で良くもなれば悪くもなる。野村のダレンは、章平のような重量感はない分、ふとした瞬間に優しさがよぎる場面がある。ただ、芝居の前半、手の動きを持て余しているようにも見えるのが唯一惜しい点だ。富岡のメイソンは、芝居の角々がわかりやすく、観客を納得させる部分を持っている。そうした点で言えば、このチームは良い反応を起こしつつあるが、まだまだ伸び代があるのも事実だ。例えば、何人か、あるいは何か所かでのことだが、台詞が早すぎてキチンと聞き取れない、あるいは語尾が消えてしまう部分があった。
この作品のタイトル、「Take Me Out」は、「連れ出して」という意味だ。使う場面や人により、様々な解釈が可能だ。俗語では「デートに連れてって」のような場面でも使うようだが、私は、日々を暮らす狭い範囲の「常識」から連れ出して、との意に取った。どう考えるかは観客の自由だ。