86歳という年齢で、体調があまり良くない、という声がどこからともなく聞こえてはいたが、その訃が「スペインで」というのが意外でもあり、「とうとうか…」とは想いつつも、現実味を帯びなかった、というのが正直なところだった。

 東大や慶応大学の学生が中心になって昭和28年に設立した劇団四季の創立メンバーの一人が旅立ち、日本の現代新劇史に大きな点が打たれたような気がしてならない。先に述べたような身体の状況であり、舞台に立つことは叶わなかったにせよ、「日下武史がいる」というだけで、劇団四季はもとより、日本の演劇界のある部分においての「精神的な支柱」であることは疑いようのない事実だったからだ。

 多くの人が指摘するように、日下武史の魅力はたぐいまれな台詞術にあった。大柄でも見映えのする二枚目役者でもないが、舞台で厳然と放つ存在感と、活け殺しの自由な台詞は、作品の奥深くに眠る登場人物の感情を揺り起こし、観客に伝えた。こういう真似のできる役者は、そういるものではない。

 日下武史の舞台を最初に観たのは、市村正親がまだ在籍していた頃の『エクウス』だった。馬の目をアイスピックで突く、という異常な行動に出たアランの深層心理にグイグイと迫る力に圧倒されたのを覚えている。決して大きな声を張り上げるわけではないが、鬼気迫る感覚だった。また、山口祐一郎との二人芝居『スルース』で見せた老獪さ、『鹿鳴館』での諧謔と皮肉、晩年、久しぶりに演じた『ひかりごけ』の迫力と苦悩。どの舞台も、克明な印象を観客に残しているのは間違いのない事実だ。

 演劇界におけるジャンル分けがもはや意味を持たない今、頑なとも言えるほどに、かつての「新劇」に対する想いを貫いたという点でも貴重な役者だ。どんな名優もその生涯の終わりと共に、自身の「芸」を持って旅立ってしまう。日下武史のあの台詞を、もう二度と耳にすることができないのだ、という喪失感は大きい。

 合掌

  86歳という年齢で、体調があまり良くない、という声がどこからともなく聞こえてはいたが、その訃が「スペインで」というのが意外でもあり、「とうとうか…」とは想いつつも、現実味を帯びなかった、というのが正直なところだった。

 東大や慶応大学の学生が中心になって昭和28年に設立した劇団四季の創立メンバーの一人が旅立ち、日本の現代新劇史に大きな点が打たれたような気がしてならない。先に述べたような身体の状況であり、舞台に立つことは叶わなかったにせよ、「日下武史がいる」というだけで、劇団四季はもとより、日本の演劇界のある部分においての「精神的な支柱」であることは疑いようのない事実だったからだ。

 多くの人が指摘するように、日下武史の魅力はたぐいまれな台詞術にあった。大柄でも見映えのする二枚目役者でもないが、舞台で厳然と放つ存在感と、活け殺しの自由な台詞は、作品の奥深くに眠る登場人物の感情を揺り起こし、観客に伝えた。こういう真似のできる役者は、そういるものではない。

 日下武史の舞台を最初に観たのは、市村正親がまだ在籍していた頃の『エクウス』だった。馬の目をアイスピックで突く、という異常な行動に出たアランの深層心理にグイグイと迫る力に圧倒されたのを覚えている。決して大きな声を張り上げるわけではないが、鬼気迫る感覚だった。また、山口祐一郎との二人芝居『スルース』で見せた老獪さ、『鹿鳴館』での諧謔と皮肉、晩年、久しぶりに演じた『ひかりごけ』の迫力と苦悩。どの舞台も、克明な印象を観客に残しているのは間違いのない事実だ。

 演劇界におけるジャンル分けがもはや意味を持たない今、頑なとも言えるほどに、かつての「新劇」に対する想いを貫いたという点でも貴重な役者だ。どんな名優もその生涯の終わりと共に、自身の「芸」を持って旅立ってしまう。日下武史のあの台詞を、もう二度と耳にすることができないのだ、という喪失感は大きい。

 合掌