第六夜【「小劇場演劇」について語ろう】

中村 今日のテーマは「小劇場演劇」。ふだんの僕の批評を読んでくださっている方々には違和感があるかもしれないけれど、実は小劇場演劇は嫌いではないんだ。でも、なぜか「嫌っている」と思われているので、誤解を解く意味も込めてね(笑)。ところで、「小劇場演劇」って何だろう?

佐藤 そうなんですか! 僕も、先生は小劇場は嫌いだと思っていました。

中村 すでにここでそう思われている。まぁ、それはいいけれど、そもそもどういう分類なんだろうね?

佐藤 劇場のキャパシティ(収容人員)じゃないですか?

中村 どうやって分けるの?

佐藤 100人ぐらいまでが「小劇場」じゃないですか?

中村 その上の「中劇場」は?

佐藤 300人ぐらいまで。

中村 「大劇場」は?

佐藤 それ以上。

中村 じゃあ、池袋のサンシャイン劇場や、渋谷のパルコ劇場は「大劇場」になるということ?。

佐藤 そうですね。でも、作品のテーマや精神性も大きいと思います。

中村 確かに。いろいろな側面での切り分け方があるよね。君が言ったように、劇場のキャパシティで分けるのか、あるいは「スターシステム」のようなキャスティング、仕掛けの大きさなど、芝居の創り方で分けるのか。作品の精神性や演じる母体、「劇団」なのか「プロデュース公演」なのかという見方もあるよね。

 切り分け方はともかくも、小劇場演劇は相変わらず盛んだね。いや、今は「コロナ前」までは、と言わなくてはならないんだ。

佐藤 下北沢や中野、新宿だけでも相当な数の小劇場がありますし、小劇場を中心に活動している劇団も何百っていうぐらいありますよ。数え切れないんじゃないですか?

中村 なぜそんなに盛んなのだろう?

佐藤 割に簡単に始められるから? お金はかかるけれど、大劇場に比べればいろんな費用が安くてすむし。「芝居をしたい」という気持ちがあれば、そこで形にすることができるんじゃないですか。

中村 そうなのかもしれない。でもそれは「やる側」の理屈で、観客にしてみれば、小劇場演劇が安いとは言っても、入場料を払うことに変わりはないよね。その分の満足感が得られなければ、成立はしないし、続かない。スターが出るような「大劇場演劇」との差はどこにあるんだろう? 観客層も志向も違うし、金額だけの問題ではないと思う。そこに何か、決定的な違いがあって、お互いに「演劇」ではあるけれど、別の形で成立しているんじゃないかな。

佐藤 求めているものが違う? いや、違わないか。今、「商業演劇」と比べているんですよね?

中村 そうだけれど、「商業演劇」と言ってしまうと、じゃあ「商業演劇って何だ?」という、また別の難しい問題に話が広がるから、あえて「大劇場演劇」と言ったんだ。劇場の規模がどうであろうが、「プロ」である以上は、「俳優という職業」のために芝居をしていることは否定できない。ボランティアではないし。

佐藤 なるほど…。「利益」を目指しても、それが完璧には達成できない、とか。

中村 それはマズイんじゃないの? 俳優としての職業が成立していないんだから。こうした「ジャンル分け」はもはや意味のない時代だけれど、まだ残っていて、キチンと整理も定義もされていないところが妙な感じがするんだよ。

 例えば、いささか例は古くなってしまうが、君も尊敬する村春子(すぎむら・はるこ、1906~1997)が自分の劇団の公演として、サンシャイン劇場で『ふるあめりかに袖はぬらさじ』をやる。「文学座」は新劇の劇団だから、「新劇」ということになる。でも、同じ芝居を新橋演舞場で、スターを加えて劇団ではない形式で上演すれば、これは「大劇場演劇」になる。芝居のテーマも主演の俳優も精神性も何も変わらないのに、場所と多少の顔ぶれが変わっただけで、呼び名が変わるのは何だか変な気がするんだ。

佐藤 なるほど。そうですね。じゃあ、「反大衆性」みたいなことですか? 「ミーハー」とは呼ばれたくなくて、ちょっとマイノリティなところを責めるのが好きな人たち、とか。

中村 解釈が難しいことを言うね(笑)。

佐藤 そうですね…。新しいスターを探す、とか、自分がファンとして育てるとか。その面白さがあるんじゃないですか? 後は、役者個人のつながりでお客さんに来てもらうケースが多いとか。

中村 小劇場はいろいろな意味で「敷居が低い」んじゃないかな。金額をはじめとして、出演者との垣根、とか。

 例えば、「小劇場」と呼ばれる多くの劇場の楽屋は、歌舞伎座や帝国劇場のような形ではないから、出演者の誰かに会いたい時、ファンが楽屋へ行くのではなく、終演後に俳優が客席へ出てきて、お客さんに会うケースが多いでしょ。そこで、自分の好きな俳優さんと話せて、プレゼントも渡せて、友達を紹介したりできる。相手は大スターではない代わりに、ほぼ同じ高さの視線で会話ができる魅力も大きいんじゃないかな。大劇場演劇ではこれは難しいよね。

 出演者と友達になれる、あるいは友達がやっている「敷居の低さ」が、小劇場演劇を「作品以外」の部分で支えている大きな要素じゃないか、と思うんだ。もちろん、作品のテーマや芝居の内容が問われるのはどの演劇も同じだけれど、それを踏まえた上でね。

佐藤 先生、狡いですよ。これ、最初から答えありき、で僕に問い掛けたんじゃないんですか? 不思議なのは、先生といろいろな芝居の話を始めたのって、半年?いや、もうちょっと前ですよね。その頃は、「なるほど」と思って聞いていたんですけど、今は物凄く悔しいんですよね。不思議なんですけれど、何だか悔しい。

中村 それはともかく、君は「俳優」としていろいろな規模の舞台を踏んできたわけだが、何か違いを感じたことは? あるいは、どういう劇場での芝居が好き、だとか。

佐藤 そういうのは一切ないですね。「この劇場だから出たい」というよりも、「この作品だから」、「あの俳優さんが主役だから」という動機の方が大きいです。結局は舞台に立てればいいんです。

 これは極端な例えかもしれませんけれど、500人の劇場で20回、合計10,000人のお客さんに観てもらえるチャンスがあるとすれば、定員が200人の劇場で50回舞台に立ちたいですね。

中村 ずいぶん欲張ったね(笑)。まぁ、わからないではないけれど。

佐藤 やっぱり、役者は舞台の上に立ったり、カメラの前で芝居をしてはじめて、というところだと思うんですよ。今は、まだ劇場公演が以前のような状態ではないので仕方がないですけれど。できるんなら、公園とか、神社の境内みたいな場所で、「三密」を避けて、何かやりたいぐらいです。

中村 その気持ちはよくわかる。やはり、常に「芝居」に触れていないと、ダメなんだよね。

佐藤 だったら、小劇場も大劇場も関係ないですね。

中村 そうか。何だか、話が途中から変わって、「君の熱意を聴く会」になってしまった(笑)。それが、早く生かせる日が来るといいね。

佐藤 そうですね。

中村 では、また次回。