「コロナで芝居は変わるのか?」

※これは、「緊急事態宣言」発令前夜の4月6日に行われた「対話」で、その後の「演劇界」の現在に至るまでの動きが予想できていません。それから2か月余を経た今の演劇界の状況と比較しながらお読みいただければ幸いです。

中村 なぜ、極限状態に置かれても人は芝居を見たがるんだろう。我々も、もう数時間で「緊急事態宣言」が発令されるというのに、この期に及んでまだ、芝居の話をしようとしている(笑)。

佐藤 「芝居」そのものが、生きていく上で「生活必需品」じゃない、って思われてるところがあるじゃないですか。でも、本当にそうなら、今まで続いていないと思うんですよね。今、先生の本(『歌舞伎と日本人』)を読んでるんですけど、江戸時代の歌舞伎は幕府の体制や庶民に対する政策に反対する側面もあった、と書いてあります。

そういうものを「なぜ見たがるのか」って言ったら、このコロナの縛りと何か似ているところがあると思うんですけれど。

中村 ただ、いろいろな演劇人が「演劇文化を絶やしてはならない」という声明を出したけれど、「困っているのは演劇だけじゃない」って、叩かれてしまった。

佐藤 今はまだ段階が早いっていうか、世の中でもっと芝居が観られなくなったら求められるんじゃないですか?

中村 それはそうかもしれない。「新型コロナウイルス」には未知の部分が多すぎて、何がどうなるのかわからず、情報も錯綜しているから、我々は日々変わる情報や、姿が見えない「幻影」に脅えている節はあるね。

 ただ、誤解を恐れずに言えば、『南の島に雪が降る』や『女の一生』が上演された戦時下と、今の「コロナ禍」とでは、どう違うんだろうか。

佐藤 今と比べて娯楽が足りないこともありますし、「恐怖の感覚」も違うんじゃないですか?

中村 確かに、ウイルスは「見えない敵」だし、これから何が起きて、どう対処すればいいのか、その方法も見えない状態で、我々は不安の中に置かれているからね。「見えない」ということが、これほど不安を煽るものだとは思わなかったね。その上、多くの情報が錯綜していて、中には明らかなデマもある。もちろん、敵が見えるからと言って、戦争の方がいい、というわけでは決してないよ。

 また、今年で75年という時間が経ち、その間に多くの物が変わった。当時は「非日常」であったものも、今は「日常」になっている行動、品物、当時はなかったものなどは数え切れないと思う。戦争当時の人々が、一人一台、掌に収まり、コンピュータの機能も兼ね備えた電話を持って歩く時代など予想もしなかったし、思い浮かべたとしても「SF」の世界だからね。だから、同じように考えることができない面は多いだろうね。

 そういう便利な時代の中で、想像したくはないけれど、もっと「新型コロナウイルス」の状況が切迫して大きな脅威が迫った時に、75年前と同じ感覚でみんなが演劇を欲してくれるのだろうか、という不安はあるね。

佐藤 それはありますね。でも、「見える怖さ」でも「見えない怖さ」でも、生の舞台に触れたいという欲求はあるんじゃないですかね。

中村 そうだね。もう、都内の劇場のほとんどで芝居の幕が開かない状態が続いている。でも、やがていつか「終息宣言」が出された時に、どんな形で幕が開くのかどうか。それは、今の時点では誰にも予想できない。ただ、「緊急事態宣言」でエンタテインメントの世界が、どういう方向へかは分からないけれど、確実に何かの変化をするんだろうし、せざるを得ないんだろうね。それがどんなものなのか、を見ていく責任はあるし、そこで新しい発想も必要になるのかもしれない。

佐藤 どう変えて行くか、なんでしょうね。ただ、まだ僕にはわからないです。

中村 今、それが分かっている人はいないと思うよ。その分、君も、いろいろな可能性を考えて、チャレンジする機会があるとも捉えられるよね。また運良く「対話」の機会が得られた時に、何がどう変わったのかを、お互いの「感覚」で検証する必要はあるね。

佐藤 そうですね。今でも、動画配信でいろいろなジャンルの物が手軽に観られる環境が整えられているじゃないですか。この「宣言」の間に、動画配信の仕組みが更に発達して、「生」の舞台への興味が減っちゃうんじゃないかな、という心配があります。

中村 そうだね。すでに、有料放送の舞台中継では、コロナに関係なく「映像で舞台を見せる」ことを念頭に、カット割りなどにも凝った舞台中継をしているからね。そういう物がさらに加速する、ということ?

佐藤 そうです。それも含めて、いろいろなところで「手軽さ」が凄く進みましたよね。それに拍車がかかると、「生」の価値がどう変わっちゃうんだろうか、って思うんです。

中村 もう一点は、経済的な打撃がどんな影響を与えるかだよね。「娯楽」、「文化」、表現のしようはいろいろだけれど、演劇が活気を取り戻すには、まずはみんなの生活が安定しないと。経済的、精神的に余裕ができてはじめて、というところがあるからね。

佐藤 そうなんですよ。そこも不安ですね。

中村 これも、「見えない」。予想はできないけれど、この一か月の「緊急事態宣言」の間に、演劇を巡る環境や状況、観客の感覚がどう変わるのか、には気を付けておかないといけないだろうね。

佐藤 そこには敏感でいないといけませんよね、絶対に。新しい文化が生まれる可能性もあるんでしょうし、今まで培ってきた文化が変わる可能性もあるし。今のこの状態を、鮮明に覚えておくことは大事なんじゃないですか。

中村 そうだね。この状態の中で、我々の根源的とも言える欲求が、どういう形で報われるのか、あるいは報われないのか。特に、君のような「表現者」が、どう考え、何を実行するか、なんだろうね。

佐藤 すぐには何もできないと思うんですけれど、少なくとも「考える時間」は増えるんだろうな、という気がします。そこで、どこまで考えられるのか。自分を見つめ直して、足りない部分の勉強をし直すにはいい機会だと、前向きに考えるようにします!

中村 おっ、綺麗にまとめたね。では、「緊急事態宣言」が無事に解除になり、元気で「対話」が再開できることを祈っています。

佐藤 先生も元気でいてください。

中村 読者の皆さん、どうぞお大事になさってください。

(了)