1987年6月、初演の舞台を観た帰りに、友人と「このミュージカル、台詞がないんだな」と話しながら帰ったのを今でもありありと覚えている。当時、歌だけで紡いでゆくミュージカルが全くないわけではなかったが、まだ今のように観客に馴染んでいなかったのだ。それが、今回の上演で30周年、上演回数は3,000回を超える大ヒットとなった。公演回数も48回に及び、2013年の舞台からは日本での新演出に変わり、キャストも一新された。

 ヴィクトル・ユゴーの『噫無情』を原作とするこのミュージカルは、日本のミュージカル界にいくつもの「新しさ」をもたらした。かつて、劇団四季は『キャッツ』の上演でそれまで芝居に縁のない観客層を呼び込むことに成功した。『レ・ミゼラブル』は、演劇界の中で大きな役割を果たし、新しい方法を見せた。初演以来、主な役はすべてダブル・キャスト、トリプル・キャストで上演され、最初から複数月にまたがるロングランでの公演形態を取った。時には、ジャン・バルジャン、ジャベール、ファンテーヌ、エポニーヌなどは4人が交替で演じている。これが、ロングランを可能にしたばかりではなく、それぞれの組み合わせの舞台の違いを楽しむ機会を観客に与えた。30年前に、こうした上演方法を取ったことは画期的だった。

 この作品が日本の演劇界で果たした役割がもう一点ある。その後のミュージカル・シーンで大きな役割を果たす役者が何人も出たことだ。山本耕史、石川禅、宮川浩、戸井勝海、岡幸二郎、今拓哉、鈴木ほのか…。『レ・ミゼラブルはスターを産む』とも言われた所以である。主な役の中では、ミュージカル畑ではなかった内野聖陽、高嶋政宏、笹野高史、松金よね子などの起用も大きな人気を呼んだ。この作品の30年を眺めた時、喜びと共に、本田美奈子の若すぎる死も、痛恨の想いとして残っている。

 今回は、ジャン・バルジャンを福井晶一、ヤン・ジュンモ、吉原光夫、ジャベールを川口竜也、吉原光夫、岸祐二、ファンテーヌを知念里奈、和音美桜、二宮愛、マリウスを海宝直人、内藤大希、田村良太、アンジョルラスを上原理生、上山竜治、相葉裕樹とトリプル・キャストでの上演で、2013年以来の新演出での舞台だ。他のキャストのエポニーヌ、コゼット、テナルディエ、マダム・テナルディエ、ガブローシュも同様にトリプル・キャストで組まれている。こうした主要なキャストもともかく、男女のアンサンブル陣の技術がどんどん高くなって来たことも見逃すことはできないだろう。
 演劇は複合的なものだ。主役だけが上手ければすむ、という話ではない。また、この作品は、主要な役でも、ほかの場面では群衆の一人として出演するのが初演以来からのオリジナルの上演形態で、多くの役者が舞台裏では忙しい想いをしながら、この作品に育てられたはずだ。30年の間には、観客席も変わった。昨今では、修学旅行の団体に出会うケースが多くなった。これも時代の流れを反映しているのだろう。

この舞台を観るたびにいつも感じることだが、最も重要な「歌」を訳している岩谷時子の翻訳が、いかにも優しく、観客や登場人物の心に寄り添うようだ。いくつもの名作を訳して来た岩谷時子の訳詞も、超ロングランの理由の一つだと私は考えている。

 初演以来、『レ・ミゼラブル』よりも長い歳月をかけて上演しているミュージカルは他にないわけではない。『マイ・フェア・レディ』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『王様と私』、『ラ・マンチャの男』、『ラ・カージュ・オ・フォール』…。もはやすでに古典とも呼べる作品で、それぞれに演出や出演者を変えながら回数を重ねて来た。これらに続くロングランを誇っている『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』などは前者の作品群とは一線を画するものだろう。日本人の中で幅広い分野のミュージカルを受け入れる感覚が醸成されて来たタイミングで、こうした必ずしも明るくて華やかなばかりではないミュージカルが登場したことになる。時代の変容の中で、観客の嗜好や支持も変わる。現在、30年という地点に立った『レ・ミゼラブル』。これからどのような変容を遂げながら進化してゆくのだろうか。