【第二夜】2020年4月6日

 日付が変わると経験のない「緊急事態宣言」が発令され、5月6日に解除されるまでは、日常生活の行動も「自粛」の要請が更に強まった。「ソーシャル・ディスタンス」「三密」などの言葉が生まれ、こうしてとりとめのない話をするのも、しばらくはご無沙汰、になる。

 これが、我々の見えない敵・ウイルスとの「開戦前夜」であるような気持ちで、いくつかのテーマについて対話を交わした。

【「巧い芝居」とは何か】

中村 本来はものすごく大きなテーマで、多くの時間を費やすべき話だけれど、もう数時間で日付が変わり、「緊急事態宣言」の発令で今までのような自由な行動ができなくなってしまう。そこで、中途半端になってしまうかもしれないが、芝居の根本にある問題を話しておきたいんだ。もしもこの「対話」が続けられれば、改めてこの話題は、何度も顔を出すでしょう。

 人によって感じ方は違うのだろうけれど、「巧い芝居」って何だろう?

佐藤 何の知識もない頃、先生の若い頃の師匠の芝居を、動画でたった5分観ただけで、めちゃめちゃ巧いと思いました。去年の秋の松本白鸚(まつもと・はくおう)さんの『ラ・マンチャの男』では、芝居であんなに泣けるのか、っていうぐらいに泣きましたし…。青年座の『からゆきさん』は4日間の公演でしたが、千秋楽に補助席を買って、二回観るほど感動しました。いろいろなジャンルで「巧い芝居」ってありますよね。でも、何か「共通項」があるんだろうな、って。

 あれからずっと考えていても答えはまだ出ないんですけど…。

中村 そう簡単に答えが出たら、演劇人は誰も苦労をしないでしょう(笑)。

佐藤 そうですよね。「役の気持ちがストレートに出て、自分の肉体と役との融合」が見えた、と言うか。心の動きが舞台に出ているというか。自分と役の気持ちを融合して出せるっていうか。

中村 何だか、分かったような分からないような説明だね。

佐藤 じゃあ、先生はどう思ってるんですか?

中村 うーん。ある役者が芝居をしてきて、経験を重ねれば重ねた分、その後ろには膨大な抽斗があるよね。それを使って自分なりに役を創り、その役に見せることが「基本」だとは思うけれど、それだけではないと思う。もちろん、それでも充分に「巧い」と言える俳優はいると思う。ただ、その先がもう一つあって、抽斗を背負いながらも、自分でどの抽斗を開けているかもいちいち考えないで、役になるんじゃないかな。

 文学座の創立メンバーの一人だった中村伸郎(なかむら・のぶお、1908~1991)が、「80を過ぎて芝居をするよりもしない方が遥かに難しいことがわかった」とエッセイで書いているんだ。これは、何となくわかるような気がする。大ベテランの役者と一緒、と言ったら叱られるけど、講義やゼミで喋っていて、あらかじめ用意した講義メモ、いわば台本だよね。これに頼らないで、自分の味、というのかな、それで自由に喋っている時の方が面白い話ができるような気がする。もっとも、これはこっちの勝手な言い分で、聞いている方々がどう思うかはわからないけれど。

佐藤 凄い説得力だぁ。いや、先生じゃなくて、中村伸郎の言葉です。確かにそうですよね。

中村 ありがとう。と、中村伸郎さんが言うでしょう(笑)。ところで、今までに観た中で「一番巧い」と思った役者は誰だ?

佐藤 難しいですね。

中村 それが出なかったら、目標ができないだろう。

佐藤 そうですけど、最近観た物に影響されちゃうから。その感動が残っている間は、その人に憧れる、みたいなところがありますね。でも、いろいろな舞台に触れる機会が増えて、憧れる役者さんも増えましたから。

中村 それは大変だ。でも、俳優とは、そういうものなのかもしれない。「学ぶ」という言葉も、元をたどれば「まねぶ」で、人の真似をする、という意味だからね。アプローチの方法としては間違っていないんじゃないかな。後は、それをどう「実践」するか、だね。

【「芸」とは?】

中村 同じような話題になるけれど、ちょうど君ぐらいの年の頃に、「劇団前進座」の創立メンバーの一人だった先代の河原崎國太郎(かわらさき・くにたろう、1909~1990)に「お前、『芸』ってのは何だい?」と聞かれたことがあってね。ちょうど『一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)』のお蔦をやっている時だった。何て答えたと思う?

佐藤 正解がないじゃないですか。

中村 ないね。でも、自分なりの捉え方ができるかどうかが重要なんだよ。いいとか悪い、正しいとか間違いの問題じゃないんだ。

佐藤 この間、ノートにまとめたんですよ。それを見返してもいいですか…あっ、あった、あった。「芸」って一口に言っても、人によってそれぞれ違うじゃないですか。決まりはなくて、その人が今まで培ってきたもの、例えば声の出し方や台詞のリズム、間の取り方とか。脚本の読み方なんかの蓄積じゃないかと思うんですけど。

中村 それをどの分野の芝居でも同じように、もっと言えば、芝居を観たことがない人にも分かるように伝えられる説得力のある言葉としないといけないんじゃないのかな。

佐藤 それはそうですけど…。先生は何て答えたんですか?

中村 「匂い、じゃないですかね」。

佐藤 あ~!なるほど。

中村 『一本刀』のお蔦を観ていて、「あぁ、昔はこんな女がいたんだろうなぁ」という匂いで観客を納得させるのが芸なんじゃないですか、って。その役の人物が過ごして来た人生の中で起きた出来事や、それまでの生活、物の考え方を感じさせるような匂い。「面白いことを言うねぇ」って言ってたな。

佐藤 そう、僕もそれを言いたかったのかもしれない。

中村 人に答えを言わせて、「それです」ってのはズルイんじゃないの(笑)。

佐藤 そうじゃないんですよ、悔しいんですよ。僕もそう思ってたのに言えなかったのが悔しい。

中村 年が違うよ。やはり、この問題は、そう簡単ではない、ということを再認識しただけでも、演じる方も観る方も、多少は意義があったかな。

佐藤 あったと思います。でも、次にこういう話ができるのは、いつのことなんでしょうね…。

中村 さぁ、それはわからない…。でも、仮に君に何かあっても、僕が一人で語り続けるから大丈夫、安心しなさい。

佐藤 何をどう安心するんですか!

(了)