NHKの正午のニュースを見ていたら、山口淑子(李香蘭)さんの訃報が入った。94歳、心不全で、ここ数年は体調が優れずに入退院を繰り返していたという。女優としての活躍は戦前のことであり、戦後はテレビのワイドショーの司会、そして参議院議員・山口淑子として名を馳せたが、戦争が終わるまでの李香蘭時代の活躍ぶりは、その類稀な運命も含めて、他の女優と比べようがない。

もう20年近くも前のことになる。夜、自宅の電話がなった。きっぱりした声で、「山口淑子でございます」と名乗った。瞬間的に「李香蘭がなぜ、私に?」と思ったが、電話の前で直立不動で話を聴いた。
「今、上野でニューヨーク近代美術館(「MOMA」)の展示をしています。その中に、ブランクーシの『空間の鳥』という作品が出ています。芸術に関わる貴方なら、あの作品を観て何かを感じられるでしょう。切符はお持ちですか? なければすぐにお送りします」といった内容だった。
恥ずかしいことに、私はブランクーシなる現代美術の大家のことを知らなかった。山口淑子の最初の夫である彫刻家のイサム・ノグチがブランクーシの助手をつとめていたのを知ったのは、後の話だ。

それから数日後、取る物も取りあえず、上野の展覧会に出かけた。名だたる作品が多く展示されていたが、目当てはブランクーシの『空間の鳥』ただ一点。銀光に輝く剃刀の刃のように、辺りの空間を切り裂くようにすっくと立つ作品は、李香蘭の姿勢を正した姿にも重なった。その感想を認めた手紙を送り、本をいただく、などのお付き合いが数回続いた。

言うまでもなく、『夜来香』、『蘇州夜曲』、『支那の夜』などの昭和の名曲の歌い手であり、満映(満洲映画)の大スターとして、多くの作品を残しているが、その当時のエキゾチックとも言える美しさは、貴婦人の令嬢のようでもあり、しなやかな勁さを持った美貌でもあった。年を重ねても、その美貌と品の良さを失うことはなく、劇団四季がその劇的な半生を『李香蘭』としてミュージカル化した折の初日に見かけた姿は、「残んの色香」をとどめた香気が漂っていた。

「天に花 地に星 人に愛」。戦争に巻き込まれ、当時の国策に利用された挙句に死刑判決まで受け、人には言えない辛酸の日々を送った彼女が、たどりついた境地を記したのだろうか。日付はないが、山口淑子の流麗な文字が認められた色紙が手元に残っている。激動の人生を送った後は、密やかに暮らすことを望んでおられたのだろう。私の耳には、あの夜の電話の声がはっきりと残っている。

実は、昨年の暮れから、「『李香蘭』のことを歌芝居にしましょう」という話を進めている。年齢からしても近況からしても、ご覧いただくことは叶わなかっただろう。しかし、凛然とした佇まいを見せていた『空間の鳥』が飛び立ちざまに「あなたのお好きなようになさいなさい」と声なき声を掛けてくださったような気がしてならない。

謹んでご冥福をお祈りする。                                                                                    合掌