「コロナ禍」での歌舞伎の上演形態も定着し、公演再開当初は「四部構成」での公演で一部での上演演目は一本、一時間内外だったものが、三部で二本、上演時間も二時間強にまで延びた。今月もその例で第三部までの公演である。一部は市川猿之助の舞踊『小鍛冶』と、松本白鸚、松本幸四郎の『勧進帳』の二本だ。『勧進帳』は日によりA日程、B日程と別れており、A日程は白鸚の弁慶に幸四郎の富樫、B日程は幸四郎の弁慶に、尾上松也が富樫を演じている。義経は共通して中村雀右衛門。

 まず、舞踊の『小鍛冶』。猿之助の家の芸で、現・猿之助の曽祖父に当たる初代・市川猿翁(えんおう)が当たり役の舞踊劇を選んだ「猿翁十種」の一つで、24年ぶりの上演となる。義太夫と長唄を使い、猿之助が扮する童子の不思議な力で剣が打ち上る物語だ。全三場の構成で、刀を打つ祈願に稲荷明神を訪れる場面では、中村壱太郎の巫女などが軽妙な踊りを見せ、最後には猿之助が童子から隈取をした稲荷明神に姿を変え、市川中車演じる三條小鍛冶宗近とともに刀を打ち上げる。 

 明治以降の「新歌舞伎」に、やはり澤瀉屋の家の芸である名品『黒塚』を遺した木村富子(1890~1944)の作品だ。中車が、今までの落語ネタなどで見せる姿とは違う側面を見せた。猿之助の童子は、当初からの摩訶不思議な感覚が面白い。最後に、刀を改めに出る市川左團次の勅使・橘道成は、70歳以上の俳優にとってコロナ禍で舞台を休まざるを得なかった期間がいかに大きなダメージを与えたかがよくわかり、何とも言えぬ切なさを感じる。

 さて、A日程の『勧進帳』。今までに1,150回以上弁慶を演じてきた白鸚は、78歳で本公演での弁慶は史上最高齢だそうだ。体力が充実した年代でも大変な役を、今まで演じ続けてきたとは言え、78歳で演じるのは尋常なことではない。前述したやむを得ぬ休みの期間が与えた影響は、白鸚とて同様で今までのエネルギーを維持した迫力、という点では「老い」が見えるのは事実だ。

 しかし、芸とは不思議な、あるいは怖ろしいもので、激しい科白の応酬や動きで、息遣いは荒く、動きもだいぶ制限している。そこにかつてのような迫力はないものの、代わりに新しい感覚で「弁慶」という一人の人間の深みが見えた。2年前に帝国劇場で演じたミュージカル『ラ・マンチャの男』の折にも感じたことだが、自らの「老い」をそのまま役の中に取り込み、演技として見せるのは誰にでもできることではない。

 今回の弁慶でもそれが見られた。無事に義経一行を逃がし、幕が閉まって花道の飛び六方の引っ込みにかかる最大の見せ場とも言うべき幕切れで、あれほど孤独で寂しそうな顔をした弁慶を今までに観たことはない。手元のメモでは、今までにおよそ70通り以上の顔ぶりで80回を超えるさまざまな顔ぶれでの『勧進帳』を観ていることになるが、こういう弁慶は初めてである。歌舞伎の面白さ、深さは、同じ演目を違う俳優で観た時に新たな発見や感動があることもその一つだ。

 花道の先をゆく義経一行を追う弁慶の姿は、こうして自分が主君・義経を守りながら落ち延びる旅はまだまだ続き、それを乗り切らねばならない弁慶の決意と、体力の限界を超えたギリギリの状況で日々の舞台に立つ白鸚の姿が二重写しになる。「良い悪い」の問題を超越して、命を削りながら舞台に立つ白鸚の姿は、胸に迫るものがある。

 対する富樫の幸四郎。襲名以降、役者ぶりがどんどん大きくなっているのは数々の舞台で感じているが、父・白鸚の弁慶に対して堂々たる富樫である。重厚感も勝り、その上で情理を弁えた結構な富樫だ。自らが松也の富樫を相手にするB日程は未見だが、弁慶と富樫を日替わりで上演する肉体的・精神的な負担は想像に難くない。しかし、それらを乗り越えて、コロナ禍における歌舞伎の「ありよう」の姿を父とともに見せた舞台は、記念的な舞台になった。

 舞台は「一期一会」とはよく言われるが、その言葉が深い重みを感じさせる『勧進帳』である。