2009年に亡くなった劇作家・田中喜三(きぞう)の新歌舞伎『信康』。徳川家康の嫡男として生まれ、「戦の天才」との誉が高かったが、妻・徳姫の父でもある織田信長の勘気を蒙り、21歳の若さで切腹に追い込まれる、という物語だ。なぜ信長が信康を切腹させたのか、理由は諸説あるようで、最も一般的とされている信康の母・築山殿と徳姫の折り合いの悪さや、天性の信康の戦の才能を信長が危惧したためと言われる説に基づいて一幕三場の芝居に仕立ててある。

 この作品は新作歌舞伎を対象とした「大谷竹次郎賞」の受賞作で、初演は1974年、当時、澤村精四郎(きよしろう)を名乗っていた現・澤村藤十郎の信康に、五世中村富十郎の父・家康。その後、1996年に、市川新之助(現・市川海老蔵)の信康に十二世市川團十郎の家康で上演され、今回が三回目の上演となる。

 今回は弱冠17歳ながら、最近、その美少年ぶりで人気の市川染五郎が信康、祖父の松本白鸚が家康を演じるという祖父と孫の共演も話題だ。コロナ禍に入る前の昼夜二部制の頃から、歌舞伎座の本公演で10代で主役を演じるのは稀なことで、これは今の人気だけではなく、今後の染五郎への期待の表れだろう。2018年に三代襲名で八代目染五郎を襲名し、成長が期待されていたが、この舞台で一気に芸の寸法が伸びた感がある。

 歌舞伎という古典芸能は、役者と共に観客も年を重ねながら、その成長や変化を観る楽しみがある。今の染五郎が、芝居が抜群に巧いかどうかと言えば、俳優としての長い道のりのスタートを本格的に切り、勉強が始まったばかりだろう。しかし、芸には「未完成の魅力」という不思議な瞬間があり、今の染五郎は若竹が天を目指して真っすぐに延びようとしている僅かな期間にしか観られない芸の「旬」を感じる。感心したのは、幕が開いてから幕切れまでの間に、徐々に自分が周囲から決して本意ではない解釈をされた末に追い詰められ、自らの腹に刀を突き立てるまでの心理的な変化を、今の染五郎なりの工夫で演じて見せたことだ。最初の若さだけで突き進む勢いが、周りの状況に目を配り自分がどういう立場に置かれているのかを悟り、命を捨てる覚悟をする。その感情の流れを途切れることなく見せたのは大したものだ。特に、三場に入ってからは、完全に肚が座った「一人の若武者」としての覚悟が見え、今後の楽しみを感じさせる。

 祖父・白鸚の家康の貫目の重さも見事で、「理」と「情」の間で苦悩する姿を見せ、家康の器量の大きさを感じさせる。祖父と孫の関係ではなく、大ベテランの胸を借りて若い俳優が四つに組み、ぶつかる芝居の面白さを感じた。戦国の世が題材であるために女形は家康の妻・築山殿の中村魁春、信康の妻・徳姫の中村莟玉(かんぎょく)ぐらいで、あとは「男の芝居」だ。廻りを固める中村鴈治郎の松平信康、中村錦之助の平岩親吉、市川高麗蔵の本田重次などの役々が、この物語の緊迫感を盛り上げている。

 新歌舞伎であり、義太夫を使っていないためにほとんどが科白の応酬で、間がだれたり台詞に力がないと観客は飽きてしまう。約90分の舞台にほとんど出ずっぱりで客席を引っ張った染五郎の努力は見事で、しばらくぶりに歌舞伎界に新しいスターが生まれる予兆を感じた。今後、どんな役でその魅力を見せてくれるのか、楽しみにしたい。