田茂神家の一族

2015.03.13 紀伊国屋サザンシアター

 どこかで聞いたような名前の一族である。しかし、おどろおどろしい一族の怨念が渦巻くような話ではない。東北のある村で、6期24年にわたり長期政権を敷いていた村長が、不慮の事故で勇退することになり、急遽選挙が行われることになった。そこへ、候補として名乗りを挙げた面々は、すべて、村長の係累ばかり。村長が田茂神嘉右衛門だから、候補者の苗字は全部「田茂神」である…。確かに、どこからどう見ても「田茂神家の一族」ではある。

 東京ヴォードヴィルショーの創立40周年記念公演かつ第70回公演という記念すべき公演で、三谷幸喜の脚本、山田和也の演出である。座長の佐藤B作をはじめ、山口良一、あめくみちこ、佐渡稔、石井愃一、市川勇らのお馴染みのメンバーに、今回は角野卓造と伊東四朗が客演という豪華メンバーだ。

 候補者の合同演説会、とは聞こえがいいが、結局のところは親類縁者ばかりが集まって、どうでもいいような話題を暴露し、お互いが罵り合うところから始まる。観客席が村の公民館になり、観客はその聴衆、という設定だが、この村の有権者は105名だとか。明らかに観客よりも少ないが、それでもきちんと山口良一が演じる選挙コンサルタントが怪しげな票読みをしている。一族の中で不倫がバレるわ、二股、三股がバレるわの品性のない演説会に呆れ果て、引退するつもりで演説会に来ていた現職の町長・嘉右衛門(伊東四朗)が再度立候補を表明し、事態はさらにバカバカしさを増してゆく。

 ややこしい一族の誰を誰が演じているかを詳細に書くことには意味がないので省略する。一つは、出演者による「群像劇」としての側面を持っているからだ。「コロス」というギリシャ劇の手法を使い、彼らが客席から「聴衆の一人」として野次を飛ばす場面まで含めて成立している。こうした作品で劇団ならではのまとまりを見せていること、コロスであろうと若手の役者の体温が高いこと、この二点は評価したい。公民館という設定上、舞台中央に時計が飾ってあり、舞台の上と客席の時間との経過が一致している、古来からある「演劇の法則」が、なぜか新鮮に感じられる。

座長の佐藤B作は、引退する町長の三男坊で、恐らく一番科白も多く、品性下劣な役だが、これが見事にはまった。大体が、この一族は誰もが自分勝手で助平が揃っており、唯一まともなのは、この家に婿に入った角野卓造の役だが、これも候補者として演説をしているうちに馬脚をあらわす。見方によっては、この芝居は家族の物語でもあり、政治劇でもある。それをコメディで味付けした芝居、ということになろうか。

 そういう点では、三谷作品の中では、他のものとはやや味わいが違い、昨年暮れの『吉良ですが、なにか?』よりは遥かに出来が良く、作者の工夫が活きた作品だ。芝居の中で、「エネルギーの問題」が村の重要な政策として語られる一方で、この芝居の初日が、佐藤B作の故郷である福島県で初日を迎え、その後、東京公演の初日を開けたという意味も大きい。

 78歳になる伊東四朗は相変わらずの達者な芝居で客席を笑わせるが、自然体で嫌味がない。笑いを紡ぐ、という芸の確かさを改めて感じさせるのは見事なものだ。三谷幸喜のこの芝居は、大いなる戯作である。