今年は先の震災の影響を鑑みて、従来4月29日に発令されていた「春の褒章」の受章者が先日発表され、その中に「野田地図」を主宰する野田秀樹の名があった。念のために若干の説明を加えておくと、「褒章」にも紫綬、黄綬、藍綬などいくつかの種類がある。社会貢献や人命救助などに贈られるものもあり、「紫綬褒章」は芸術・科学などの文化の発展を中心とした業務に従事する人々の中から選定されるもので、数年前までは60歳以上という規定があったはずが、その枠もはずされ、若いスポーツ選手が受賞したことなども記憶に新しい。

私はここ数年来、文化庁を中心とした国の芸能全般に対する考え方や政策に対してことあるごとに辛辣な批判を繰り返して来た。芸能の分野について言えば、古典芸能には無闇に厚く、それ以外の分野には薄いという印象がどうしても拭い切れなかったからだ。その姿勢に対する提言も繰り返して来たが、暖簾の腕押しどころか、聞こえないふりをしていた。もはや、文化庁の思考そのものが古典芸能と化しており、平たく言えば「芝居のことなどてんで分からず、現場も見ずに年齢の順番に書類審査に明け暮れているお役所仕事」という印象が続いていたからである。

しかし、今回、私は文化庁に対して素直に詫びると共に、そうした姿勢が変わりつつあることを評価したい。60歳以下の受賞は野田秀樹が初めてではないにしても、およそ今までのイメージの中にある「紫綬褒章」とはかなり遠い距離にいると感じる芝居を創って来た野田秀樹の試みが、こうした形で評価されたことを、素直に歓びたい。それには、歌舞伎に新作を提供していることなども考慮の対象に入っているのかも知れないが、この際、そうした細かいことは言うまい。

55歳にして作・演出・出演をこなし、舞台を駆けずり回ってエネルギッシュな芝居を繰り広げている彼の思考や新しい試みが評価されたことは大きい。批評家として野田秀樹を依怙贔屓するつもりはないし、彼とてこうした栄誉を求めて芝居をしているわけではあるまい。しかし、次から次へと、我々日本人が真剣に考えなくてはならない大きな問題を作品の中で提示し、「現代に生きる演劇」を見せている。それに観客が共感し、感動している。文化庁が、古典芸能だけではなく、「危うい現代」を切り取っている野田秀樹を評価したことが嬉しいのだ。どうか、こうした試みを、これ限りで終わらせることなく、演劇の「今」を評価する試みを続けてほしい。

願わくば、この慶事を野田一流のセンスで洒落のめし、諧謔と横溢した言葉遊びに満ち溢れた一本の芝居を創ることを期待したいものだ。そこに、いつまでも少年のような輝きを見せているエネルギッシュな野田秀樹の価値があるのだ。野田秀樹になら、それができると私は期待している。マンネリズムの繰り返しで文化勲章をもらっておさまりかえる大御所の演出家もいるが、そういう野田秀樹を観客は期待しないはずだ。過酷な要求であるのは承知だが、あくなき挑戦を続けられる柔軟性をいつまでも持っていてほしい。それが、野田秀樹にふさわしい姿であり、魅力なのだ、と私は想う。