誰でも「老い」は避けられない。今は「アンチエイジング」が盛んで、いかに「若さを保つか」がクローズアップされているが、その一方で、「美しい年の重ね方」もある。最近観た舞台の中で、見事な年の重ね方をしていると感じたのは草笛光子だ。女性の年齢を書くのははばかられるところだが、プロフィールにも出ていたので記すが、今年で81歳だという。見事なまでに美しい銀髪と、軽やかな身体の動きには驚いた。

それだけではない。2006年から上演している二人芝居『6週間のダンスレッスン』という芝居の中では、「スウィング」「タンゴ」「ワルツ」「フォックストロット」「チャチャチャ」「コンテンポラリー」と6種類のダンスを踊る。いさかかの危なげもなく、軽やかにステップを踏む様子に、客席からため息が出た。もちろん、草笛光子とて、我々と同様に日々年を重ねてゆくわけで、人の見えないところで肉体を維持するための努力を怠らないからこそ、こうして元気な舞台が見せられるのだ。

しかし、今の「若く見えれば良い」という風潮だけではなく、その年齢相応の美しさや、その年齢にあった役柄をいかに美しく、あるいは観客に納得のゆくように演じて見せるかは、役者の才能である。この作品は、内容自体が非常に素晴らしいものであり、単に何種類ものダンスを踊って見せるのではなく、たった二人の登場人物が抱えている心の問題が二人の間に浮かび上がり、絶対に相容れない水と油のような二人がやがて心を繋ぐ、という物語だ。そのための重要なアイテムとして、「ダンス」が登場する。今までに、草笛光子の相手役は三代変わったが、彼女は初演の頃とほとんど変わらない軽やかさで芝居を演じ、ステップを踏む。ある程度の年齢に達した段階で、実際の年齢とはかけ離れた役に挑戦するのも女優の腕なら、年齢相応の役で人間の深みを見せるのも女優の腕だ。彼女は後者の道を選び、テレビなどでもそうした役回りを演じるようになった。これは非常に賢い選択だ。どちらも、誰もができるわけではないからだ。草笛光子に、この作品を、と考えたプロデューサーも慧眼である。その証拠は、8年にわたって何度も上演されているという結果が示している。

人前で仕事をする俳優は、個人差はあるものの、ある程度の年齢になった段階で、自分の「老い」と対峙し、どう折り合いを付けるかという問題に、我々よりも非常にシビアな選択を迫られる。どういう道を選ぶにせよ、生涯現役の俳優で活躍するためには、人の見えないところで日々の鍛練をどれほど重ねられるか、だろう。「寝ている間に痩せる薬」や、「いくら食べても太らずに筋肉がつく薬」などは、喉から手が出るほど望んでいる人は多い。私もその一人だが、そんな夢のような話はない。

自分の肉体を管理し、維持するのも役者の仕事の大きな部分を占める。勘違いされては困るが、役者という仕事は、明らかに「肉体労働」の部分が多いものだ。人を感動させるための演技を生み出すための頭脳や感性はもちろん必要だが、身体が動かないのでは話にならない。考えようによっては何とも苛酷な仕事だ。

その中にあって、これからも演じ続けることのできる役を持っている草笛光子は、女優としての幸福に巡り合えたのだ、とも言える。後は、この幸福な役を少しでも長く演じてもらうことが、多くの観客の願いだろう。同時に、スターだけにそうした問題を押し付けるのではなく、我々自身が、どう年を重ねるかも考えなくてはなるまい。