エッセイ

役者のはなし

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第二十八回「草笛 光子」

誰でも「老い」は避けられない。今は「アンチエイジング」が盛んで、いかに「若さを保つか」がクローズアップされているが、その一方で、「美しい年の重ね方」もある。最近観た舞台の中で、見事な年の重ね方をしていると感じたのは草笛光子だ。女性の年齢を書くのははばかられるところだが、プロフィールにも出ていたので記すが、今年で81歳だという。見事なまでに美しい銀髪と、軽やかな身体の動きには驚いた。
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第二十七回「左 とん平」

喜劇役者としてはベテラン中の大ベテランだ。出て来た瞬間にとぼけた雰囲気で観客の笑いのスイッチを入れる力はたいしたものだ。今までの長い芸歴の中で培ってきたイメージが、それほどに強烈なものだった、ということだ。「左とん平が出てくれば、何か面白いことを言ったりしたりするに違いない」とう観客の期待が満ちており、それにきっちり答えることは、いい加減な役者ではできない。

二年ほど前のことだ。あるコメディの地方公演があり、舞台を観て、終演後に酒席を共にした。その舞台で、主役の女優と二人のシーンがあり、そこでやや長い科白があるのだが、この科白が見事なまでにめちゃめちゃだった。「要するに、あのことについて、お前に言いたいのはあれ、だろ。何て言うかな。まあ、なんとかなるだろう」といった感じで、具体的な内容がない。観客は爆笑した。それを、相手の女優が、「あんたねぇ、さっきからあればっかりじゃ何のことだか分からないわよ。あんたの言いたいのはこれこれこういうことでしょ」と切り返したため、観客の笑いはさらに倍増した。これは、単なるアクシデントではなく、百戦錬磨の役者同士の信頼関係から出て来る高等技術だ、と私は感じた。この場面、私は左とん平が意図的に科白をごまかして笑いに導いたのか、本当に忘れたのか、真相を聴くことはしなかった。どちらも、楽にこなせる役者の実力を目の当たりにしたからだ。
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第二十六回「阿部 寛」

映画『テルマエ・ロマエ』のPARTⅡもヒットし、引っ張りだこの阿部寛。年齢相応の味わいが出て来たのは、近年の収穫であると同時に、容姿とは裏腹なコメディ・センスを持っていることも披露している。

あれだけの体格だから舞台映えすることは間違いないが、そう頻繁に舞台には立たずに、作品を丹念に選び、映像とのバランスを取っているようだ。阿部寛を劇的に変えたことで知られる『熱海殺人事件』をはじめ、『新・近松心中物語』、10時間に及ぶ大作『コースト・オブ・ユートピア』などに挑んで来たが、今年の秋には『ジュリアス・シーザー』を演じると聴いた。なるほど、と思える作品だ。
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第八回「奈良岡朋子」

芸歴66年を迎えるベテラン中のベテランである。研究生を経て、1950年に劇団民藝の創立に参加し、現在は劇団の代表でもある。日本を代表する名女優の一人であることは、今更言うまでもない。奈良岡朋子の巧さは以前から定評のあるところで、自分が軸足を置いている劇団民藝の活動を中心に、『放浪記』などへの外部出演、テレビドラマ、映画、ナレーションと、幅広い活動はつとに知られるところだ。

民藝、文学座、俳優座の三つ新劇の「三大劇団」と並び称するケースが多いが、これらのいわゆる新劇の劇団に共通して言えることは、カリスマ的な存在が先輩や芸の上の師匠として身近に存在し、劇団を牽引すると同時に、その薫陶を身近に受けながら育つことにある。奈良岡朋子とて例外ではない。瀧澤修、宇野重吉という、日本の新劇史の欠かすことのできない名優二人の時には苛烈とも言える指導を自分のものにして来たからこそ、今の奈良岡朋子がある。
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第七回「野田 秀樹」

先輩に当たる評論家が、「野田秀樹はもうそろそろ舞台へ出るのを辞めればいいのに」と言ったことがある。誤解のないように言うが、これは役者としての才能を否定しているのではない。役者として舞台に立つ時間とエネルギーで、一本でも多くの芝居を書いてほしい、という賛辞だ。私も、それに近い気持ちを持ち合わせえている。野田自身が書き、演じて来た芝居の中の多くは、役者・野田秀樹でなければ演じられないものも多い。同様に、その根幹である作品は、よりコアな「劇作家」としての野田秀樹にしか表現できない世界観のもとに構築されている。そうした意味で言えば、彼が演劇界における稀代のプレイング・マネージャーであることは論を俟たない。
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第六回「堤 真一」

今、最も脂が乗った役者の一人だろう。堤真一に注目をし始めたのは、1990年に江東区・森下にあった「ベニサン・ピット」という小劇場で麻実れいと演じたコクトーの『双頭の鷲』の若き革命家・スタニスラスではなかったか。もちろん、彼がジャパン・アクション・クラブ(JAC、現・JAE)の出身であり、すでに多くのジャンルで活躍していることは知っていたし、『双頭の鷲』以前の舞台も観てはいる。しかし、この舞台が最初の彼の「変わり目」であったことは間違いないだろう。「ベニサン・ピット」は、客席数が200にも満たない小劇場である代わりに、観客席と舞台との距離が近く、濃密な空間である。そこで、現代フランス演劇の名作でもあり、手ごわくもあるこの作品の上演は、画期的でもあった。コクトーの修辞を散りばめた膨大な科白、そして内面の葛藤と若さの発露、今から23年前の堤真一には大きな壁であったことは間違いない。私がこの舞台を好もしく観た理由は、彼が持つ「トゲトゲしさ」だ。若さゆえの暴発寸前のエネルギーが、いつ爆発するのかという危うさを孕んだ革命家の演技は、黒いベールに包まれた麻実れいの王妃の「静」の芝居に対して、「動」という対照だけではない不安感を観客に与えた。それが、この作品における革命家の悩みとオーバーラップして、「ハマった」のである。彼をこの役に選んだプロデューサーの慧眼と言えよう。
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第五回「松 たか子」

サラブレッド中のサラブレッドと言っても良い女優である。本人はそう呼ばれることを必好ましくは思わないだろうが、紛れもなく松本幸四郎の血、高麗屋の血が流れている。初舞台が娘役とは言え歌舞伎座だったのが、それを象徴している。17歳の折の1994年5月に、新橋演舞場での新派公演に、父・幸四郎、兄・市川染五郎と共に出演しているが、初期の舞台で忘れがたいのは、1999年1月の新橋演舞場公演『天涯の花』だ。宮尾登美子原作の小説を舞台化したもので、22歳の若さで初座長を勤めた舞台でもある。徳島県の剣山を舞台に、高山植物・キレンゲショウマを撮影に来たカメラマンと恋に陥る無垢な少女を描いた作品で、相手のカメラマンは内野聖陽が演じた。この時の松たか子の可憐な美しさとその中に真っ直ぐに通った花芯の清らかさは忘れがたい。大劇場での一ヶ月公演の座長は、スポットライトの中心に立つ代わりに想像を絶するプレッシャーと神経に苛まれる立場でもある。それを見事に乗り越えたばかりか、この舞台を一つのきっかけに、一度にいろいろな色の花が咲きだしたような感覚で、次から次へとその才能を感じさせる舞台を見せた。
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第四回「片岡 愛之助」

「昨年、一番ブレイクした歌舞伎役者」という点ではどこからも異論はないだろう。ずいぶん前のことだが、尾上菊五郎が菊之助時代に大河ドラマでより大きな人気が出たのと共通している点がある。最も大きな違いは、菊五郎が歌舞伎役者としてはお手の物の時代劇だったのに対し、愛之助は現代のドラマで人気が爆発した、という点だ。  関西の歌舞伎とは関係のない家庭の子として生まれ、昭和56年12月に十三世片岡仁左衛門の「部屋子」として京都・南座の顔見世興行で初舞台を踏んでいる。その後、努力と才能を認められ、片岡秀太郎と養子縁組をし、今や歌舞伎界のホープの一人となった。ホープとは言え、芸歴32年のベテランだ。数年前に分かったのだが、私は彼が歌舞伎役者として初舞台を踏んだ舞台を観ているばかりか、仁左衛門の楽屋で片岡千代丸と名乗っていた少年当時の愛之助と会っている。お互いにびっくりしたものだ。
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第三回「大竹 しのぶ」

毎年、この時期になると、「昨年観た舞台の中で各部門のベスト・ワンをあげよ」というアンケートが来る。女優・男優・演出・作品・スタッフなど、いくつかのジャンルで自分が観た芝居の中から「これは」と思う人や作品を選ぶのは、一仕事だ。毎年、去年の観劇メモをめくっては「ああでもない」「こうでもない」としばし考え込む。その時に、いつも頭の中をよぎるのが、「大竹しのぶ」の名前だ。コンスタントに毎年ヒットを放っている証拠だが、去年シアタークリエで再演した『ピアフ』の出来は凄かった。折から、ピアフ没後50年を迎えた昨年、稀代のシャンソニエ、エディット・ピアフに関するイベントや作品は多かったが、大竹ピアフがすべてを浚った感がある。一昨年の初演が好評で、それを受けての再演だったが、支持されるだけあって、初演よりも舞台は凄みを増していた。
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第二回「橋爪 功」

ずいぶん古くから観ている役者の一人だ。30年以上、すべての舞台を、というわけではないが、いろいろな物を観て来た。あえてここで記すまでもなく、役柄の幅の広さ、器用さでは演劇界でも指折りだろう。コメディもやればシェイクスピアもやるし、新作にもどんどん挑む。1975年に劇団「雲」から芥川比呂志を中心に独立した演劇集団「円」の代表取締役でもある。話が複雑になるが、劇団「雲」はそもそもが文学座から分裂してできた劇団であり、私が最初に観たのは1979年のサンシャイン劇場での『夜叉ヶ池』ではなかったか。高校生の頃の話だ。今や、演劇界の重鎮の一人でもある。
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