昭和の演劇に詳しい読者であれば、森本薫(1912~1946)の作品を取り上げるのであれば、文学座の杉村春子が生涯を賭けて947回にわたって演じた『女の一生』を、という声もあるだろう。34歳で夭折した作家は、家庭を持っていたが愛する杉村春子のために何本かの作品を遺し、いずれも杉村は大切に生涯演じ続けた。70年に及ぶ女優人生の最期の舞台になったのも、この『華々しき一族』だった。

 森本薫の作品の中で、初めて舞台に乗ったのは昭和9(1934)年の『わが家』で、『華々しき一族』はその翌年、作者が23歳の折の作品で、また京都帝国大学に在学中である。いかに早熟の天才だったかを窺わせるに充分な手練れとも言える台詞と斬新な作劇術で構成された三幕の家庭劇は、杉村の代表作の一つにもなった。映画監督・鉄風と前衛舞踊家の諏訪の間には、それぞれの連れ子がおり、五人で暮らしている。そこに、鉄風の弟子の須貝が同居している。鉄風の子と諏訪の子は義理の兄妹でありながらお互いに恋心を抱いており、もう一人の妹は、須貝に憧れているが、須貝はなかなか心の内を見せずにいる。早く結婚をしなさい、と須貝を説教した諏訪に、「僕が結婚をしない理由は、あなたです」と突然の告白をし、戸惑う諏訪…。今から考えれば、特にどうということもないホーム・ドラマである。しかし、昭和10年という、間もなく日本がきな臭い時代へ向かおうとする中で、洋風のハイカラな暮らしを送る芸術家一家の、「進歩的な暮らし」は観客には新鮮に映っただろう。

 この芝居には面白い仕掛けがしてあり、壱幕の終わりと二幕の始め、二幕の終わりと三幕の始めが、それぞれ数分ほどダブる。それぞれに休憩があるのだが、次の幕が始まると前の幕の終わりから観ることになるのだ。今のテレビ番組ではこの手法を煩いほどに使っているが、何のことはない、80年以上前に、舞台劇で使われていたのである。尤も、この手法を最初に使った劇作家は誰でいつの作品なのか、勉強不足の私にはわからない。

 それにしても、弱冠23歳の若者が書いたにしては、中年の心理なども良く書き込まれ、舞台劇として優れているからこそ、杉村は生涯演じ続けたのだろう。杉村没後、他の脚本家によって書き直された同名の作品があるが、これは全く評価ができるものではない。この作品の10年後に、遺作となり、戦時中に東京で上演された最後の演劇ともなった『女の一生』が上演されることになるが、当時の情報局の委嘱を受けて書いた作品で、エピローグなど異本もある。だからと言って質が悪いわけではないが、『華々しき一族』に見られるような弾むテンポや生き生きした人物の躍動に欠けるのは、時代のせいと言ってもよいだろう。

 私生活でも女優・杉村春子のことを知悉していた森本薫だからこそ、『女の一生』やこの作品が書けたであろうことは想像に難くない。家庭があったために結婚は叶わなかったが、杉村にとってはその後の二度の結婚・死別をも超える激しい恋愛感情があったからこそ、恋人でもあり芝居づくりの「同志」でもあったのだろう。デビューから僅か10年でその命を喪ったのは嘆くに余りあるが、当時の栄養不足の中では肺結核は死を意味する病であり、森本薫もこの病を克服することはできなかった。

 しかし、杉村の情熱で、この作品が絶えることなく、舞台劇として改めて評価されるべきものであることを示したのは大きい。